私が童話作家になった理由:すとうあさえさん

はしれ ディーゼルきかんしゃデーデ』など数多くの作品をお書きになっているすとうあさえさんに、子ども時代の思い出や、童話作家になるきっかけを綴っていただきました。

育ての親は月刊保育絵本

◆自分のなかの子どもが書かせてくれる
私は子どものころから想像することが好きだった。そしてかなり無口だった。まだ4歳にもならないころ、一人で物語をブツブツつぶやきながら人形を動かしたり、三輪車を馬に見立てて遊んでいた。

母は私が一人で遊んでいるのをみてかわいそうに思い、幼稚園の2年保育にいれようとした。けれど私は行きたくなかったので、入園の面談のときに「行きたくない!」と大声で泣き叫んだ。
ふだんあまり自己主張しない無口な子が騒いだので母はとても驚いたそうだ。幸い入園は見送られ、私はまた幸福な一人遊びの世界にひたることができた。

小学生になると、さすがに三輪車を馬に見立てることは卒業したけれど、寝るまえにおはなしを考えるのが日課になった。誰かに話すわけでも、ノートに書くわけでもない。自分の頭のなかだけで想像するのだ。だいたい悪者にさらわれたお姫さまが助けられてハッピーエンドで幕という流れなのだけど、どうやってさらわれ、どうとらわれていて、だれがどのように助けるかというところを、毎回変えてみるのが楽しくてたまらなかった。ひょっとしたらその延長上に、今、童話を書いている私がいるのかもしれない。うん。たぶんそうだと思う。

本を読むのもすきだった。「アルプスの少女ハイジ」を読んだとき、ハイジが眠る干し草のベッドってどんな感触でどんなにおいがするのだろうと想像した。はじめて五感をゆさぶられる心地よさを実感したお話だ。
「フランダースの犬」は泣いて泣いて泣いた。「ごんぎつね」も同じく泣いた。頭が痛くなるくらい泣いて、寝込んだ。
「これは人が作ったお話なのに、なんでこんな結末にするのかしら。私がお話を書くとしたら、ぜったいこんな悲しいお話にはしない」と作家を恨んだ。その悲しみがあまりにも深くて、今も「死」を描くお話は書いていない。「おそらく一生書かないわ」。そう、自分のなかにいる無口な女の子が言っている。