私が童話作家になった理由:野村一秋さん

女性編集者からの手紙
チャンスが訪れたのは、そんなときでした。デビューのきっかけは、ある日、見ず知らずの女性編集者から届いた一通の手紙です。その手紙には、『亜空間』33号(1991年5月発行)に発表した「命がけ」という作品を偶然読んでわたしに興味を持ち、それ以来、毎号、わたしの作品を読んできた、と。暗くて重い「命がけ」の出版は難しいので、楽しい作品があったら読ませてほしい、と。そこで、「宿題いっぱい、腹いっぱい」という作品を送り、それが『天小森教授、宿題ひきうけます』と題名を変えて、あかね書房から出版されました。95年の秋のことです。

デビューのときにはまだ小学校に勤めていたので、読者である子どもたちの反応が直に伝わってきました。中学年向けの本ですが、2年生の子も読んでくれました。あとがき(現在出版されている小峰書房版にはあとがきがありません)に、「宿題はやらなきゃいけないものだ、と思ってたら大まちがい。やりたくなったら、やればいいんですよ。どうせ、むりやりやらさせる勉強なんて、身につかないんだから」と書いたら、「こんなこと書いちゃって、先生、だいじょうぶ?」と心配してくれた子もいました。

石川県の小学校から、版元経由で表彰状が届いたこともありました。賞状には、「あなたが書いた天小森教授シリーズが中島アカデミー賞に選ばれました。3年生4年生でとう票した結果№1になりましたので、ここにあなたの本を表彰します」と書いてありました。図書委員会の手書きの賞状です。ほんとにうれしかったですね。すぐにお礼の手紙を書きました。
読者である子どもたちからの感想や手紙はいちばんの励みになります。
※「コピーライターを目指していたのに、なんで小学校の教員になってたんだ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、詳しい事情はまたの機会に。


野村一秋(のむら かずあき):1954年、愛知県に生まれる。教員として小学校に勤務した経験のもと、子どもの目線に立った作品を生み出している。日本児童文芸家協会会員。日本児童文学者協会会員。
主な作品に、『天小森教授、宿題ひきうけます』『しょうぶだ しょうぶ!』『のらカメさんた』『ミルクが、にゅういんしたって?!』『4年2組がやってきた
などがある。