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  4 出動

「それより、アキラ、丹田さんの猫捜しの件、そろそろ出動した方がよくはないか? な、とりあえず、チャッピーの件は、忘れて」
「忘れません!」
「では、とりあえず、あっちに置いて」
「まあ、それなら・・・」
依頼主宅訪問へ、心が動き出す。

「この通りは信号が多いから、車で、15分くらいだな」
猿神さんは、地図を指さす。
「車、あるんですか?」
「ある。キャロちゃんという」
ひっ、車にも名前つけているのか?
「じゃあ、ナビに入力すれば、地図は必要ないんじゃないですか?」

「初めて訪ねる所だぞ!」
「だから、ナビを頼るんじゃないですか」
「いいか、アキラ、ナビは、信用できん。奴らは、はい、ここが目的地です、ときっぱりとした意見を言わない。目的地周辺ですから、注意しろ、と言うだけだ。注意したって、見過ごすのがおちだ。そんな軟弱な機械にワシは頼るつもりはない。第一、ワシのキャロちゃんにはナビなんぞ付けておらんし」
「はぁ。それにしては、お詳しいことで」
「黒岩の車には、付いている!」
きっぱりと宣言するのを聞いて、オレは、見知らぬ黒岩さんが気の毒になってきた。
いろいろと、こき使われているんだろうな。

3 出動! その前に

「了解! あっ、でも、その前にここにいるはずの猫に会わせていただけませんか?」
「なぜだ?」
「飼い主が捜しています。それに、苦手なんでしょ、猫が」
「苦手だ。というより、嫌いだ! 奴らとはロクな思い出がない。子どもの頃、ひっかかれたり、噛みつかれたり、追いかけられたり」
「もしかして、何かやらかしました?」
猫は、何も手出しをしない人間や、悪意を持たない人間を、襲ったりはしないはず。

「いや。何も。奴らがやもりと遊んでいるので一緒に遊んだ。親猫が子猫を運んでいる時には手伝ってやった。それだけだ」
「それ、充分、やらかしてます。狩猟や子育てのじゃまをされた猫が、黙ってるはずないじゃないですか」
なんて、オレの言葉はむなしく消えてゆく。
猿神さんの眉が、でれんと垂れる。

「だが、チャッピーは別だ」
って、もう、名前までつけてるのか・・・。
「ひっかかないし、噛みつかないし、追いかけないし」
それ、フツーですから。

「2日前のことだった。玄関を開けたら、坐っていたんだ小さな猫が。そしてな、ワシをじーっと見上げた。思わずしゃがむと、猫はゆっくりと腰を上げ、膝に乗って来た。そして、眠った。このワシの膝の上でだぞ!」
瞳をうるませ、そう話す猿神さんのふにゃんとした顔から推察するに、すでに、心を奪われている様子。
でも、猿神さん。
だけど、猿神さん。
その猫には、新聞にまで載せて捜している飼い主がいるんです。

「とにかく! 猫を連れて来てください!」
心を鬼にしたオレの声と、
「エエエエエッ」
重なるその声は?

声の方に視線をやると、小柄な黒猫が、テーブルのすぐ横に、ちょこんと座り、三つ指をついたみたいに前足をきちんと揃え、こちらを見上げている。

  2 依頼

「ふー、食った、食った」
と腹をさすりながら、男は、4袋目にかかったオレのぜんざいにうらやまし気な視線を当てる。
もう、まったく!
「欲しいんですか?」
と、鍋の中で泳ぐ最後のぜんざい、5袋目を目で示す。

「いいのか?」
「はあ」
「アキラ、おまえ、いい奴だな」
いえ、そんなんじゃ、ないです。
アナタの大人げない視線を浴びながら、5袋目を食べる勇気が、ないだけですから。
心の中でつぶやいた時、その電話は鳴った。

1 遭遇

オレ、朝日輝。
高校2年、17歳だ。
冬休みの初日、こうして、ここにいるのは、頭の中に、猫アンテナが立ったから。

猫アンテナーオレが勝手にそう呼んでいるだけだけどーを持つようになった経緯は、語れば短い。
が、今は、語っている暇は、ないようだ。

「ここだ!」
オレのアンテナが告げている。
「ちょっと失礼、いたしやす」
誰に言うともなく言いながら、夜間、ブルドーザで道端に寄せられた雪を足がかりに、2メートル程の黒い板塀に手をかけて、のぞきこむ。
と、10メートル程向こう、軒下辺り、新雪の中から足が、黒い長靴をはいた両足が、V字を描き突き出されてる。

い、犬神家の一族・・・、みたいだ。
あの映画の、静かな水面から突き出た足の映像が、頭に浮かび、怖くなる。
「さ、殺人事件か…」
仕事(といっても趣味だけど)は一先ずあっちに置いて、警察に連絡だ・・・、と思いつつも、目が離せない。
「は、早く、警察に・・・」
張り付く視線を無理くりはがそうとした時だった。
足が、折れ曲がった。
そして、また伸びた。
足の主は、折れ曲げ、伸ばすを繰り返している。
「生きてる!」
よかった!
すぐに、救出だ!

塀を乗り越え、新雪に沈む足を引き抜きながら、全速力で遭難者に向かう。
30年ぶりの大雪で、一晩で1メートル20~30センチも積もったのだから、足の主の上半身は、すっぽり雪に埋まってる。
突き出された足を抱え、引っ張り上げようとするが、動かない。
こっちも雪に阻まれながらの作業の上に、足の主がジタバタするものだから、抜き出し作業は、はかどらない。
どうすれば、引き抜ける?
体勢を変えてみよう。
後ろ向きになり、相手の足を、背負い込み、
「どおおおっこいしょーっ!」
渾身の力をこめて、体を前に屈める。
と、ようやく抜けた上半身は、勢い余って、ぶっ飛んで、今度は、雪の上に人型を作った。

運転手さん?
ああ、運転手さんにもそういう人がおありなのですね。
それは運転手さんがずっと一緒に過ごしてきた方ですか。
そうですか。そうですか・・・。
・・・・・・
もう、見えません。
本当につかのまでした。
流れ星のように一瞬でしたけれども妹はあそこに「いた」のでしょうね。
あの向こう岸に。
僕らがよく遊んだ、もう何百万年も前からここに流れている川の向こう岸に。
妹の身の上にたった今何かあったとしても、いえ、なかったとしても、妹の意識はもう「向こう」なのでしょうか。
林檎を持っていってやらなければ。
きっと待っています。
きょう一日の出来事や星の話や化石の話などをするのを楽しみに待っています。
そうだ。川のほとりを縁どっているあの野菊も摘んでいってやりましょう。
妹はうす紫色の野菊が好きだから。
そばに飾ってやりましょう。
北極星の夜4運転手さんは毎日毎日運転をしていて、今のように「向こう岸」が見えることがあるのですか。
たまに?
ごくごくたまに?
あるのですね。
さっきみたいなことが。
きっと何度も何度も同じ風景を見ていると、その中のわずかな違いやずれに、気づくのでしょうね。
そしてこのバスが、いったいどこへ向かって走っているのかわからなくなってしまうことが? まれにあるのですって?
さっき僕は行き先がいつもわかっているのはすごいことだなんて感心したのですけれども、あるのですね。そういうことが。
決められた目的地に向かうことを繰り返していると、時にそんな風に感じるものなのでしょうか。
それも今の景色のようにほんの一瞬だけ、思うことなのですね。
ごくたまに運転手さんに見えるという「あの場所」には、いったい何があるのでしょう。
手の届きそうな向こう岸なのに、すぐに渡っていけそうな川向こうなのに、ずいぶんと遠い遠いところのような気がします。
何時間、何日、バスを運転し続けても、決して着くことはない場所のような――
僕はもう学校を辞めてしまったので、これまでのように毎日決められた時間に、というわけにはいかないと思いますが、病院に行ったり、山の向こうの町に苗や種を買い付けに行ったりするので、時々はバスに乗らせてもらいます。
またお会いできるでしょうか。
そろそろ停留所が近づいてきました。
僕は次で降ります。
運転中に僕のおかしなひとりごとを聞いてくださって、申し訳ないことでした。
ええ、そうです。あの北の空に光っているのが「北極星」です。
旅人の目印の星です。〈了〉


(初出「日本児童文学」2010年11・12月号。本作は「新作の嵐」掲載にあたり推敲したものです)

この先に見える十字路を左に行くと、坂道を上がったところに大きな病院があるでしょう。
僕の妹はそこに入院しているのですよ。
毎日必ず朝と晩、僕は妹の見舞いに病院へ行きます。
学校へ行く前、帰るとき、いったん家へ帰ってからまた行くこともあります。
もう、長くはないのですよ。妹は・・・
胸をわずらっていまして。
きょうは一度家に帰ってそれからゆっくり見舞いに行きます。
卒業式の話を聞かせてくれとせがまれたのです。
それと、きのう、林檎園を営んでいる友人からとてもいい林檎をもらったので。
木箱にいっぱい。
それをいくつか持っていってやろうと思って。
妹は小さなころから林檎が大好きで、熱があるときでも食欲がないときでも、林檎をすりおろしてやると、それはそれは喜んで。
このごろ、食が細くなって、ほとんど何も食べようとしないのですが、この林檎を口にすれば、食欲も出るのではと思うのです。
北極星の夜3妹と僕はふたつ違いで、小さなころはよく近所の川で遊んだものです。
そう、あそこに見える川です。
泳いだり、河原の石を、まるで競争みたいに集めたり。
僕にとっても妹にとっても、あの川はまるできらきら光る宝石がごろごろところがっている場所なのです。
河岸には百万年前もの象や鹿などの獣の足跡があったり、クルミの化石があったりするのですよ。
まさに化石の宝庫です。
学校の生徒を理科の校外学習によく連れて行きました。
あれ・・・
いま妹がそこに、川の向こうのほとりに立っているように見えたのですが。
気のせいでしょうか。
こんな時間に重病の妹が、春とはいえまだまだ肌寒い川岸など歩いているわけがありませんね。
きっと、気にしているから、幻でしょう。
いや・・・幻にしてはやけにはっきり見えます。
外は月と星の明かりだけなのに川の対岸がたいそうよく見えます。
妹が向こうでこちらに手を振っているように見えます。
妹には僕が見えるのかな。
運転手さんには見えますか?
ほら、ちょうどあの北極星の真下にあたるところに妹は立っています。
運転手さんに見えないのなら、あれはやはり僕の目の錯覚でしょうか。
卒業式やら自分の退職やらでごたごたして、大した量の仕事を片付けなければならなかったから、ちょっと疲れているのかもしれない。
え・・・
え、見えるのですか。
運転手さんにも。
妹が・・・
川の向こうの妹が見えるのですか。
妹は・・・もしかして、ですけれど、こんなことを口に出して言うのは、本当にかなしいことなのですけれど・・・
「向こう岸」にいってしまったのでしょうか。
「こっちの岸」にいる僕には手の届かない所にいってしまったのでしょうか。

「北極星」はいつも北の空に輝いている星なのです。
すべての星が時とともにその位置を変えるのに、「北極星」は、決してその位置を変えないのです。
動かない北極星は、旅する人々を正しい方位に導いてくれます。
迷ったときには「北極星」をさがせばいいのですからね。
だから決して道に迷わない運転手さんは、きっと自分の「北極星」を持っておいでなのでしょうね。
北極星の夜2僕が毎日このバスに乗っていたのは、あの川を渡った先の山の向こうにある学校へ通っていたからです。
農業高校です。
自家用車を持たないものですから、路線バスに乗って、毎日毎日通っていました。
でもそれもきょうで終わりになります。
規則正しい日課のようにバスに乗るのも、これで最後でしょう。
きょうは高校の卒業式でした。
僕が担任していた三年生の生徒たちを送り出して、高校教師としての僕の役目は終わりました。
高校では理科を教えていました。
生徒たちに、細胞の形や遺伝の法則を教えたり、稲を植えて米を作ったり、ナスやきゅうりを育てたり、体育祭で応援に声を枯らしたり、文化祭で劇を演じ歌を歌ったりするのは、そりゃもう楽しくて手応えのあるけっこうなことでした。
けれども、僕の役目は他にあるような気がして、どうにもそんな気がしてならなくて。
運転手さんはどうですか。
そんな気になったことはないですか。
運転することより他に自分の役目があるように思えることは・・・
いえ、すみません。そもそも運転中にそのようなことを考えていては危険ですね。
自分の役目などと迷っていては目的の場所に着くことも危ういことです。
教師を辞めてどうするんだって・・・
はい、運転手さんの言われることは分かります。
僕は何年か前から、詩とか童話とか、まあちっともお金にはならないことなのですけれど、書いていまして。
いちど、童話集など出してみたりはしたのですが、これがまたさっぱり売れなくて。
出してくれた出版社に申し訳なく、親に借金して売れ残りを買い取りました。
でもどうであれ、それが売れようが売れまいが、もう少し、いや、もっとですね、もっと書いていたいと思ったのですよ。
川のほとりの小さな家でわずかな土地に、とうもろこしや白菜や馬鈴薯を育てながら、書いていたいと思ったのです。
書いたものは妹によく読んで聞いてもらっています。
妹はただひとりの僕の読者なのです。

何度も何度も僕はこのバスに乗っているので、少しは僕の顔くらいは覚えておいででしたら、うれしいのですけれど。
当然のことですけれども、運転手さんは運転中、だいたい前に注意していなければなりません。
それに日に何人もの乗客が入れかわり立ちかわり乗ったり降りたり、降りたり乗ったりしているのですから、いちいちひとりひとりの乗客の顔など、記憶に残るはずもないと思います。
ですから、覚えておいででなくても、それはもう当然のことです。
ああ、すみません。
乗るなり、べらべらと勝手なことを。
運転のおじゃまでしょう。
どうぞ僕のひとりごとと聞き流してください。
僕は運転手さんの顔をよく存じていますよ。
この路線専門の運転手さんなのでしょう。
僕が乗ると必ず運転しておいでです。
僕にとって運転手さんは、となり町に住む同い年のいとこよりも、もっともっと顔を合わせている顔なじみなのですよ。
これで何度目でしょう。
僕はまったく数え切れないくらいの回数、運転手さんが運転するこのバスに乗りました。
バスが通る山道や町の中や川や田んぼや畑のほとりの四季の風景を、もう目をつむっていても、通る順々に、この古ぼけた帽子の内側の頭の中にある画用紙に、ささっと描くことができるくらいですよ。
でもきっと運転手さんは、僕なんかよりももっとうまく早く、バスの外の風景を順々に描くことができるでしょう。
ああ、どうかそのままで。
前を見たままで。
もしおじゃまでなければ少しお話しさせください。
運転にさしつかえるようであれば、すぐにやめますからね。言ってください。
いえ、返事などされなくてもけっこうです。
もう本当に勝手なざれごとだと思ってください。
僕は車の運転はできないものですから、このように大きな車を自在に動かせる運転手さんが、ものすごくうらやましくて。
北極星の夜1山の道も暗い道も細い道も広い道も曲がりくねった道も、どんな道でも、この大きな「箱」を先へ先へと動かすことができるということは、まったく、すごいことです。
その上、行き先が、いつもいつもはっきりわかっていて、常にその行き先へ向かって走り続けているというのも、たいへんなことだと思うのです。
あ、笑わないでください。
そりゃあバスの運転手さんが行き先がわかっていない、ということなどあり得ないことなのでしょうけれど。
運転手さんにはきっと、「北極星」が見えるのでしょうね。
夜空に輝く、あの「北極星」です。
「北極星」はこぐま座にあります。
大きなひしゃくの形をした「北斗七星」に向かい合うようにして、小さなひしゃくがありますね。
ちょうど前方に見えています。
そう、あれがこぐま座。

写本 -5銀のかけら流れる川のほとり今夜も少女は、ランプの下で、拾った星のかけらを数えます。
数えた数字を、青いインクでノートに書きます。

――いなくなったあのひとは、毎日毎日、こちらに手をふっていたことを忘れはしないのかしら。こちら岸で星のかけらを拾っていたわたしのすがたを、思い出すことはあるのかしら。覚えているとしたら、いつまで覚えているのかしら。わたしはこれから毎日、あのひとのことを、思うのかしら――

数字を書き終えたあと、少女は、しばらく少年のことを思いました。
少年の面影は、たやすく消せるものではありませんでした。
それでもいつものように、少女は、星のかけらを引き出しにしまい、灯かりを吹き消し、ベッドに入ります。

――あのひととわたしのあいだ、くり返し流れ、今も流れている、いとしい銀色のかけらたち。流れる川のほとり、たいせつなひとが、手をふってくれますように。わたしも手をふります――

祈りながら少女は、川を流れる星の光とともに、眠りにつきます。

おやすみなさい、かけらたち
おやすみなさい、たいせつなひと

写本 -4銀のかけら流れる川のほとりそうして、何度目かの朝のこと。
川の向こう岸に目をやったとき、そこに、いつもの少年のすがたはありませんでした。

いない? いない。いないですって?

いつもの少年が、そこに、いないということ。
少女は、いったいそれをどう思っていいのか、どうしていいのかわからず、しばらくは星のかけらも拾わず、ぼんやりと向こう岸をながめていました。

――たとえばとても大切な人が自分のそばからいなくなること。その反対に、自分が大切な人のそばからいなくなること――

少女はここで星のかけらを拾う仕事をするずっとずっと昔、そんなことがあったことを思い出しました。
それは記憶の向こう側のはるかな国に、かすみのベールをかけてしまいこんでいたことでした。
少女は向こう岸に向かって、声を出してみました。
泣き声のような、叫び声のような、だれかを呼ぶ声のような、そんな声でした。
自分に声が出せることに、少女は、おどろきました。
でも、それもつかのま、気がつくと、いつのまにか腰をかがめて、いつものように星のかけらを拾っているのでした。

たとえ、向こう岸の少年はいなくなっても、陽が暮れて川面がすみれ色に染まり、バケツがいっぱいになるまで、少女は手を休めることはありませんでした。