17歳、高2のこの夏。
親友の幸野蜜柑が、あたしの幼なじみの鎌居太朗とステキにいちゃいちゃしてるのを横目にバイトに励み、小金を貯めて、旅に出た。
蜜柑が太朗にコクり、太朗の奴がそれを得意げにあたしに報告し、それを聞いたあたしは、なぜだか、ちと、落ち込んだ。
胸が、チクリと、痛んだ。
蜜柑の恋は、応援してる。
でも、なぜ、太朗なんだ?
太朗じゃなきゃいいのに。
そんなこと、ふと思った。
それまでは、太朗なんて、どうってことない、そこら辺にぼーっと存在してるだけの、ただの、・・・ただの、太朗だったのに。
どうして、落ち込む?
なぜ、胸が痛む?
わからない。
わからないから、この気持ち、なんとかなってくれっ! って、うつうつしてた、そんな時だ。この地方の風習を知ったのは。
『魂送り』
それは、新聞のエッセイ欄に載っていた。
だれでもかれでも知っているような、全国区のものではない、知ってる人だけ知っている、ひっそりとした感じの風習だ。
お盆に帰ってきた先祖の霊を、送る。
送り火を焚くだけではなく、カヤや竹で編んだお精霊舟という舟に、帰ってきた人たちを乗せ、沖まで小舟で曳いていく。
写真は、載っていなかった。
カヤと竹の舟・・・、言葉だけでは、あたしの脳は映像を結ばない。
ネットで検索してみても、出てこない。
だから、余計に、見てみたい! 心が動き、うつうつが一気にぶっ飛んだ。
こんな時に白状するのもなんだけど、あたしは、風習、奇習、伝説なんてのに激しく目がない。