ローザ夫人こそ、ぼくを下うけのステッラにおしつけた女なのだ。ミンモの足の指かみつき事件いらい、ぼくにたいする態度はがらりと変わったのだった。
(ミンモとアインシュタインとは合わないのね。こんなネコ、わが家に飼っておけないわ。ミンモが殺されちゃう。さて、どうしよう。捨てるなんて動物あいご協会の顧問として、やるべきことではないし・・・そうだわ、ステッラにやってしまおう、ネコは好きだといってたし、ぜったいに嫌とはいわせないわ。あたしは大切なおとくいさんなんだから)
「とっても可愛い子ネコがいるの。でも、家では飼えないの。ミンモがネコアレルギーになってしまったのよ。欲しいという人もいるんだけど、あなたのようなごく親しい人にもらっていただきたいの。おねがいよ、ステッラ、どう?」
そして、すぐにOKさせたのだ。
「かわいいでしょう? ああ、アインシュタインとおわかれなんて、ほんとうに悲しいわ・・・今までのようにいい子ちゃんでいるのよ。わかった?」だーとさ。
ミラノの「すみれコンパニー」のマネージャー、ローザ夫人は、ステッラのおとくいさまさまだから、「お願いよ」などといわれて、彼女うれしくなってすぐに僕を引きとる気持ちになったのだ。たぶん、100着のウエディング・ドレス注文の夢をみてね。
サロンと寝室とキッチンだけなのに、サロンは年がら年じゅう、ステッラの花嫁衣装せいさく工房になっている。なにしろまっ白でふわふわした布ばっかりだから、ステッラの、その気の使いようったらすごいんだ。
ぼくはもちろん一度だって入れてもらったことはない。彼女が出入りするときに、足のすきまからちらっとたまに見たのと、となりの家のサクランボの木に登って、遠くからのぞけるくらいが精いっぱいだった。じつは旦那のロメオだって、めったに入らせてもらえない「禁域」なのである。
「ステッラ、今夜はインテルとレアル・マドリッドがやるんだ。こればっかりはなにがなんでも見のがせないしな。君の『はかなき愛』は明日の午後に再放送されるんだろう?」
「アパートを買うために、こうして夜も昼も働いているのよ。男の人ってすぐサッカーなんだから・・・しかたないわ。入って来るまえに、ガウンにネコの毛がくっついてないか、よくしらべるのよ」
許可を得て、しんみょうに入って行くロメオ・・・そしてかんしゃく玉が家じゅうにひびく。
「きたない手でふれないでよっ!」
すぐこれなんだ。ロメオはタイヤの修理工でいつもつめはまっくろで、しもんのみぞの中までよごれがへばりついていて、いかにも汚らしいとはいえ、毎日仕事から帰ってくると、ちゃんとシャワーを浴びるきれいずきなんだから、そんなにガミガミいうこともないと思うんだけどね。
さて、クリスマスもまじかにせまった昼前・・・ステッラは忙しさにかまけて、ぼくのごはんのことをすっかり忘れていた。寒い外をうろついて家にもどって来たんだけど、マーポ用のサラの中は、まだからっぽなのである。
台所でステッラが、テーブルにひじをついてコーヒーを飲んでいる。彼女は『椿姫』をききながら、さも気持ち良さそうにたばこをふかしている。ステッラはオペラが大好きなのだ。
「オペラ歌手になって、スカラ座でヴィオレッタを歌うのが、少女時代からの夢だったの」でも、ボルドー色に水玉のジョギング・スーツで・・・これが彼女のしごと着なんだ・・・せっせと花嫁衣装をぬってせいけいを立てなければならないのが現状。夢と現実には、ひきはなされたふたつの星のようにきょりがある・・・とイキなことをいったのはロメオだ。彼だってパイロットになるのがゆめだったんだもの。