プンプン右の木どうなった(2/3)

文・山庭さくら   絵・岩崎陽子

ある日のことです。
とおくの方で、ブーン、キィーンという、大きないやな音がきこえてきました。
二本の木はびっくりしてかおを見あわせました。
「なんの音だろう」
右の木はふあんそうに、左の木にききました。
ぷんぷん右の木 -鳥「はじめてきく音だね。きょうは小とりも来ないし、森のようすもなんだかへんだね」
そのうち、そのいやな音がだんだんちかづいてきました。
なんとそれは、木をきるでんきノコギリの音だったのです!
いよいよ、でんきノコギリのはが、右の木のみきにあてられました。
「うわぁ、たすけてぇ。きられるなんていやだよぉ」
右の木は、大きなこえでなきました。
左の木も、そのこえをききながら、こわくてふるえていました。
「ああ、もう、子どもたちのえがおが見られなくなるんだ。小とりたちの、たのしいはなしもきけなくなるんだ。ああ、かみさま、どうかたすけてください。でも、もしきられてしまうなら、どうぞ、べつのものにかたちをかえて、たのしいおもいをさせてください」
そうねがっているうちに、左の木もきりたおされてしまいました。

二本の木は、きられたあと、どうなってしまったのでしょう。
なんと二本の木は、ベンチに生まれかわり、ぐうぜんにも、またおなじこうえんでとなりどうしになったのです。
そのこうえんは、シーソーとすなばがあるだけの、小さなこうえんでした。
よちよちあるきの子どもをつれたおかあさんたちや、かいものがえりのお年よりたちが、入れかわり立ちかわりやってきます。
ぷんぷん右の木2さいしょのころは、どちらのベンチにもすわっていた人びとでしたが、いつのころからか、りょうほうのベンチがあいていたら、みんな左のベンチにすわるようになったのです。
ベンチになってからは、えだもありませんので、小とりがとまることもありませんし、子どもたちがどんぐりをひろいにくることもありません。
そうなってはじめて、右のベンチはさびしいとおもうようになりました。

ある日、右のベンチはおもいきって、左のベンチにはなしかけてみました。
「ねえ、どうしてみんなきみにすわるんだろう。きみもぼくも、おなじかたちといろをしているとおもうんだけど」
「ん~。どうしてなんだろうね。ぼくにはわからないよ。でもね、ぼくはすわってくれた人がたのしそうだと、とってもうれしくなって、『この人たちのしあわせが、ずっとつづきますように』っておもうんだよ。
ときどき、ひとりぼっちのお年よりがすわることがあるのさ。じっと目をとじてしずかにしていると、お年よりのきもちがつたわってくるんだよ。『だれかとはながしたいなあ。しばらくだれともはなしてないなあ』って。
だから、『だれかお年よりに、はなしかけてくれないかなあ』ってこころでおもうんだけど、そのときにふしぎなことがおこるんだよ」
「どんなことがおきるんだい?」
「よこにすわった人が『きょうはいいおてんきですねえ』ってはなしかけたり、小さな子どもが、よちよちあるいていってわらいかけたり」
このこうえんにくる人たちが、なんだかしあわせそうなのは、このベンチのおかげなのかもしれないなあと、右のベンチはおもいました。
「そうだったんだね。じゃあ、ぼくもきみのように、すわった人のことをおもいながら、ここにいることにするよ」
それでもしばらくは、みんな左のベンチにすわるのでした。

宇都宮みどり (山庭さくら) について

宇都宮みどり(山庭さくら) 愛媛県出身。大好きな童話作家は浜田広助。 図書館での読み聞かせ、児童養護施設でのボランティア、大学病院の小児科でのボランティアでの読み聞かせを行ってきて、童話や絵本の大切さを実感。 2006年に出版した『ウータンタンのおはなし』は、大分県の夏休み課題図書に選ばれる。 その後、依頼で『不思議なコウモリ』や『シッポでさよなら』などを創作。これまで作った作品は20以上。読み終えた後に、心がほっこりする童話を書きつづけている。 HP:幸せつなぎスト

岩崎陽子 について

イラストレーター。東京デザイナー学院絵本コース卒業。 シール制作会社勤務後、フリーのイラストレーターとして児童向け雑誌や書籍を中心に制作活動しています。ゆくゆくは、絵本を作りたいと思い日々奮闘しています。趣味はパン屋さんめぐり。大好きなパンをほおばりながら新作を構想しています。