「『お宅のネコらしいドロ・・・いえ、なまえは知らないけれど、わがやのえさを食べちゃうんで、困っているの。お宅ではじゅうぶんにえさを与えていないのですか?』って言ったら、『ああ、ピットのことね.わが家にもいたことがあるけど』なんて、人ごとみたいに言うの。
『ピットはもう、うちのネコではないんですよ。お行儀が悪いし、せいかくもよくないから、おい出してしまったんですよ』なんて、放蕩(ほうとう)むすこでもおいだしたような言いかたをするの。籍(せき)ははずしてしまったんだから、もう関係ないって感じでね。
『でも、おなかがすいたらもどって来るのではないのかしら?』
『どんなにほしがってもぜったいにあたえないのよ。家では台所いがいは食べ物を置かないことにしています。それにいつもドアをしめていますからね。そのうちネコのほうがあきらめてよりつかなくなったの。お宅もそうなすったら?』なんて、しゃーしゃーして言うのよ。
『わが家ではドロってよんでいますの。どろぼうのドロのことよ』って言ってやったけど、話していてしまいにはバカバカしくなったわ」
きいているチェーザレ氏がゲラゲラ笑うもんだから、りつ子さんもふき出してしまって話にならないのだ。
ローマにすんでいるチェーザレ氏のお兄さんの息子がミラノにやって来た。
まだ小学校の2年生。日曜日の朝、チェーザレ氏が飛行場にむかえに行って、つれてかえって来たけど、「ステファノ、つかれたかい?」、「ステファノ、なにが食べたい?」、「パパとマンマとわかれててさびしいだろう?」などと、ものすごいかわいがりようなんだ。
おかあさんがおばあさんのかんびょうに行ってるし、お父さんは仕事で夜がおそいので、ここ1週間ばかりあずけられることになったのだ。
ステファノは長いまつげのとっても大きな目をして、そのうえ度のつよいメガネをかけているので、顔じゅう、目がいっぱいという感じだ。かれはたいせつそうに、小さなヴァイオリンをかかえていた。
「ローマの音楽院で、アルビノーニの『アダージョ』をきいて、バイオリン二ストになることに決めたの」と幼い少年が、ちょっとませた口調で言う。
「ほう、すごいなあ、あにきからそんなこときいてはいたけど。れんしゅうを始めて、もうどのくらいになるんだい?」
「3週間とちょっとくらいかな」
「ふーん。じゃあ、昼ごはんを食べたあときかせてもらえるかい?」
「もちろん、人にきいてもらうのはとってもいいことだと、先生も言ってたから。みんなの感想もききたいし」
と、また、ませた感じでこたえる。