私が童話作家になった理由:戸田和代さん

新コーナーがスタートしました。今回はその第1回目。名作『きつねのでんわボックス』の著者で、数々の作品をお書きになっている戸田和代さんに、童話作家になるきっかけを綴っていただきました。

ねむってなんかいられない

普通の主婦だった私が
101歳で亡くなられた石井桃子さんの好きな言葉がある。
「子どものころ見た光景は一枚の写真のように、ぱっと思い出すことができる。そのとき自分がかんがえたことも、はっきり思い出すことができる」
この言葉に出会ったのは、絵本や童話を書きはじめてしばらくたった頃だった。
それまでは普通の主婦だった私が、40歳を過ぎて、小さい子どもの話を書くなど思いもよらないことだった。
とくに本が好きというわけでもなく、作文も苦手な私が、とつぜんなにかに憑かれるように書き始めたわけが、石井さんのこの言葉によってようやくわかった気がした。

きっかけは子どもの短期留学だった。軽い「空の巣症候群」になっていた私は気持ちを切り替えなくてはと思っていた。そして、何気なく足をはこんだ童話創作教室で、講師の先生ははじめにこう言った。
「すて猫をひろって、おかあさんに叱られました……なんていう、あたりまえの話を書くんじゃない。うちの猫は夜中にこっそり出ていくので、ある日こっそりあとをついていったら、なんとなんと近所の猫たちに踊りを教えていた。そのくらいのことを書かなくちゃね・・・」

そのとき、私は目の前に、ふいに小さいころの原風景が浮かんできた。
いつも連れだって遊んでいた悪がきの面々。ばかげた空想や冒険は毎日のことだった。ふいにチキチキ現れるけばけばしいチンドン屋さん。お寺のトイレの恐怖。歌謡曲もカタカナアメリカンポップスも意味もわからず大声で歌っていた。
非日常は日常のなかにあった。
毎日が楽しくて、眠ってしまうのがもったいなくて、ふとんに入っても、しっかり目をあけていた。
そんな原風景が童話の創作教室によって呼び覚まされたのだった。