お供えラッシュが一段落つき、舟に近づけるようになる。
いろんなお供え並ぶ中、小さな白猫のヌイグルミを見つけ、その横にヒスイを置いた。
「キツツキ、そろそろ、乗りこもか」
策作じいさんは、言う。
けれど、
「やめておきます」
チョウコが消えた時のこと思い出したからじゃない、と言えばウソになる。
目の前で消える賢作さんを、見たくないからじゃない、と言えば大ウソぴょんになる。
でも、それよりも・・・。
ヌイグルミ、手作りらしいクッキーや干菓子、豆大福、果物、お供え物を見ていたら、集まって来た人たちの気持ち、伝わってきて。
新盆を迎えた家の人じゃなくても、大切な人の霊を、舟で送っていきたい人もいるはずだ。
駅のホームで、走る電車を追うように、少しでも長く、一緒にいたいと、願う人がいるはずだ。
そんな人たち、差し置いて、あたしが舟に乗れるはずがない。
「そうか、やめるんか」
「はい」
「おまえ、キツツキと一緒に乗ったら、」
「はい」
「なんや、楽しい気分で行けそうやけど」
「はい」ありがとうございます、
「でも、あたし、ここから、ずっと見ていますから」
「ほな、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
「またな」
「はい、後で!」
策作じいさんが、舟に向かう。
しのさんや、自転車屋のじいさんは、もうお精霊舟に乗ったのだろうか。
賢作さんは、乗ったのだろうか?
と思っていると、以心伝心?
「安達ケ原さん」と呼ぶ声は、賢作さんだ。
「そろそろ、行きます」
「はい」
ユーレイに、こんな言葉、言っていいのかわからない。
でも、
「いってらっしゃい!」
でも、
「また、いつか!」
あたしは、言わずにいられなかった。
賢作さんは、ほほえんで、うなずいた。
胸の横で、小さく手をふって、舟に向かう。