「あの、策作さんは? 賢作さんは、向こうに、彼の岸に、帰らなくてもいいんですか?」
「って、安達ケ原さん、どういうこと? 僕は賢作ではなく、絢斗だけど」
「ケント、さん?」
あたしが、佐熊山賢作さんだと思っていた人は、策作じいさんの孫、佐熊山絢斗さんだった。
昨年亡くなったしのさんと、その後を追うように、今年亡くなった策作じいさん、ふたりの新盆の行事をきっちりやり遂げたくて、ここ、花盛り町大字細八字猪甲乙にやって来たそうだ。
「ほんとうは、父が来るはずだった」
そうだが、来るはずだったおとうさんは、
「前日に階段を踏み外し、足をねん挫して、全治1週間」
泣く泣く、帰郷をあきらめたんだ、と絢斗さんは教えてくれた。
「精霊舟は、新盆を迎えた家のものと地域の人たちで編み上げるんだ。だから、ぼくも、」
絢斗さんの姿がほとんど見られなかったのは、舟を編んでいたからだ。
ユーレイは・・・、策作じいさんの方だったんだ・・・。
「・・・ほんとに、ほんとに、策作さんは、今年?」
驚いて、出なかった声を、やっと、しぼり出す。
「うん」
「・・・でも、お仏間に、策作さんの写真、飾ってなかった・・・」
「おじいさんは、それはみごとに舟を編む人で、毎年、舟編みの行事に参加していたから、仲間の人たちがさみしがって・・・」
写真で参加していたそうだ。
あんなことや、こんなことを聞き、あたしは、やっと、理解できた。
でも、理解はできても、信じられないよ。
策作じいさん、あまりにも普通にいたから。
一緒に過ごした3日間、不思議な感じは、ぜんぜんしなかったから。