何度も何度も僕はこのバスに乗っているので、少しは僕の顔くらいは覚えておいででしたら、うれしいのですけれど。
当然のことですけれども、運転手さんは運転中、だいたい前に注意していなければなりません。
それに日に何人もの乗客が入れかわり立ちかわり乗ったり降りたり、降りたり乗ったりしているのですから、いちいちひとりひとりの乗客の顔など、記憶に残るはずもないと思います。
ですから、覚えておいででなくても、それはもう当然のことです。
ああ、すみません。
乗るなり、べらべらと勝手なことを。
運転のおじゃまでしょう。
どうぞ僕のひとりごとと聞き流してください。
僕は運転手さんの顔をよく存じていますよ。
この路線専門の運転手さんなのでしょう。
僕が乗ると必ず運転しておいでです。
僕にとって運転手さんは、となり町に住む同い年のいとこよりも、もっともっと顔を合わせている顔なじみなのですよ。
これで何度目でしょう。
僕はまったく数え切れないくらいの回数、運転手さんが運転するこのバスに乗りました。
バスが通る山道や町の中や川や田んぼや畑のほとりの四季の風景を、もう目をつむっていても、通る順々に、この古ぼけた帽子の内側の頭の中にある画用紙に、ささっと描くことができるくらいですよ。
でもきっと運転手さんは、僕なんかよりももっとうまく早く、バスの外の風景を順々に描くことができるでしょう。
ああ、どうかそのままで。
前を見たままで。
もしおじゃまでなければ少しお話しさせください。
運転にさしつかえるようであれば、すぐにやめますからね。言ってください。
いえ、返事などされなくてもけっこうです。
もう本当に勝手なざれごとだと思ってください。
僕は車の運転はできないものですから、このように大きな車を自在に動かせる運転手さんが、ものすごくうらやましくて。
山の道も暗い道も細い道も広い道も曲がりくねった道も、どんな道でも、この大きな「箱」を先へ先へと動かすことができるということは、まったく、すごいことです。
その上、行き先が、いつもいつもはっきりわかっていて、常にその行き先へ向かって走り続けているというのも、たいへんなことだと思うのです。
あ、笑わないでください。
そりゃあバスの運転手さんが行き先がわかっていない、ということなどあり得ないことなのでしょうけれど。
運転手さんにはきっと、「北極星」が見えるのでしょうね。
夜空に輝く、あの「北極星」です。
「北極星」はこぐま座にあります。
大きなひしゃくの形をした「北斗七星」に向かい合うようにして、小さなひしゃくがありますね。
ちょうど前方に見えています。
そう、あれがこぐま座。
北極星の夜(1/4)
文・北森みお