名も無い立役者 ーーBOOK展2023より

文と絵・田村理江

「よくいらしてくださいましたな」
澤ノ井謙と同い年の石神さんは、年齢よりずっと若く見え、私を孫のように歓迎してくれた。名だたる脚本賞をとった先生とは思えないくらい庶民的だ。

「ガリ版の台本なんて、あんた、知らないでしょう? ほら、開いて御覧なさい」
年月を感じさせる黄ばんだ台本は、活字ではなく手書き文字。どのページも行間にびっしり朱で訂正が施されていた。稽古の度に、より良いものを求めて加えられていったことがわかる。

「当時はね、貧乏学生に駄賃を渡して、ガリ切りや製本を手伝わせたもんだ」
「ガリ切り?」
「ロウ紙に鉄筆で、見本通り文字を削る作業のことさ。ガリガリ、音がするだろう? あれはうまいやつと下手なやつがいる。力任せにロウ紙を破いちまうのはダメだ。逆に器用なのもいて・・・」

話が脱線しそうなので、私はさりげなく、
「澤ノ井謙さんが登場する、あの名場面――」
と、切り出した。石神氏はフォッフォッと余裕の笑いで応じた。
「猫も杓子もそれを聞きたがる。だからこそ、わしは話を始めたんだ。まだ誰にも漏らしていない話をな」

私は小さく首をかしげてみせた。石神氏は、構わずにガリ版の話に戻った。
「ガリ切りのうまい学生がいたんだ。なんて名だったか・・・覚えていない。撮影所に数日しか顔を見せなかったからな。文学青年で、台本を真っ先に読めるのが至福だと言っておった」
「この台本の文字担当は、その学生さんなのですね?」
「その通り。なかなか生意気なやつで、当時はまだ無名のわしに向かってアドバイスする。この台詞はくどい。ここはあっさりし過ぎだ、ってな具合にな。『闇のしじま』に関しても、さんざん言われたよ」

「まあ! こんな名作に?」
石神氏は寄りかかっていたソファから身を起こし、
「やつは、このホンに勝手に台詞を付け足しやがった」
と、愉快そうに言った。
「どこだと思う? 悔しいが、あんたらが聞きたがる名台詞こそ、やつの創作だ」
驚いた。それと同時に、まさに鮮烈な秘話が書けると熱くなった。
その学生だった人を探し出せば・・・。

田村理江 について

(たむら りえ)東京都生まれ 成蹊大学文学部日本文学科卒業。日本児童文学者協会第15期文学学校を終了。 第6回福島正実記念SF童話賞を受賞して、『ガールフレンドは宇宙魔女』(岩崎書店)を出版。 児童書の作品に『リトル・ダンサー』(国土社)、『夜の学校』(文研出版)、『魔の森はすぐそこに・・・』(偕成社)など。絵本の作品に『ふなのりたんていラッタさん』(フレーベル館)、『ハンカチのぼうけん』(すずき出版)など。 HP:田村理江のページ