名も無い立役者 ーーBOOK展2023より

文と絵・田村理江

「どこの誰だったんですか、その人?」
声に力がこもる。
「さあね。さっきも言ったろ? 名前も知らない。だが、やつは主演の俳優をよく観察していたな。今でこそ謙さんは名優だが、当時は新人で、輝きはあったが端正な若者の一人に過ぎなかった。やつは謙さんの魅力を捉え、台詞に凝縮させた。謙さんはこの映画で開花した。わしも俳優一人一人に目を向けて書くようになった」

「―――大スターを生んだのも、人気脚本家を育てたのも、実はガリ切りの学生さんだった、と?」
「その通り」
石神氏はふたたび、ゆったりとソファに身体を埋め、晴れ晴れした顔で言った。
「ああ、重荷がとけた。あの世に行く前に、本当のことを知らせておきたかったんだ」

それからは型通りのインタビューが続き、一段落したところで、別室に控えていたカメラマンを呼んで、石神氏のポートレートや古い台本の撮影となった。
最後に石神氏は、
「良い記事を書いてください。気負わず、素直に」
門まで私を見送ってくれた。

庭先では遅い桜の散り際で、はらはら舞う薄桃色の花びらに囲まれた老脚本家の笑顔は、それ自体がドラマのようだった。
編集長になった自分の気負いは見破られていたな、と思う。ガリ版の話もまた、石神氏の創った一場面なのかもしれない。

『闇のしじま』の創作秘話は、私の心の中にそっとしまっておこう。そう決めたとたん。肩がフッと軽くなった。
(おわり)

田村理江 について

(たむら りえ)東京都生まれ 成蹊大学文学部日本文学科卒業。日本児童文学者協会第15期文学学校を終了。 第6回福島正実記念SF童話賞を受賞して、『ガールフレンドは宇宙魔女』(岩崎書店)を出版。 児童書の作品に『リトル・ダンサー』(国土社)、『夜の学校』(文研出版)、『魔の森はすぐそこに・・・』(偕成社)など。絵本の作品に『ふなのりたんていラッタさん』(フレーベル館)、『ハンカチのぼうけん』(すずき出版)など。 HP:田村理江のページ