安房直子 著『だれも知らない時間』
(偕成社『なくしてしまった魔法の時間』収録)
安房さんは、不思議の世界への扉を開くカギを持っているに違いない――これが、私の安房直子作品の総評です。
彼女は、作品を通して、この世のとなりにあるであろう、不思議の世界を垣間見せてくれます。魔法の道具は、なわとび、アイシャドー、針、ハンカチなど、私たちが普段何気なく使っている身近なもの。そこには、特別なステッキも、剣も、呪文もありません。
そんな、日常のとなりの世界に行く扉を、彼女は、文章というカギで開け放ちます。
最初の一行で読者をその世界に誘ってしまうやわらかな語り口。そして、疑似体験のような描写力。安房さんは、読者に、まるで夢の中のように、その世界を体感させます。
そんな安房作品の中でも長編の部類に入るであろう「だれも知らない時間」。
私が好きな安房作品のひとつです。
長く生きすぎ、時間を持て余すカメと、貧乏で、時間が足りない漁師の良太。ふたりが出会うことから、物語ははじまります。カメは、時間がないと嘆く良太に、自分の時間を毎日一時間、お酒と引き換えに渡すことにします。良太は、その秘密の一時間を使って、お祭りのたいこの練習をはじめます。
しかし、ある日、良太だけの時間に、あるはずのない訪問者が! カメの時間には、大きな秘密が眠っていたのです。
誰も知らない秘密の時間……。
夢みるような設定の中で、物語は、海の底のように、深く、深く、その内容を濃くしていきます。そして、安房流のどこかさみしい語り口で、時間とは、想いとは、生きるとは何かを、美しく、切なく読者の心に沁み込ませます。
もし、自分にカメの時間があれば……。
安房さんは、彼女だけが持つそのカギを使って、不思議の世界と同時に、私たちが奥底に隠している心の扉さえも、カチリと開けてしまうに違いありません。