引っ越して来た猫
作:田村理江
ナラ林を抜けて、隣町へ向かうトラックを、この頃、よく見かけます
春は、引っ越しのシーズン。カフェ・ペパミント・スプーンのテラスから、外の道を眺めていたユナさんは、1台のトラックがゆっくり、近づいて来るのに気がつきました。
「近所に、引っ越しかしら?」
近づけば、近づくほど、トラックは小さく見え、カフェの前で停まった時には、小型のダンボールほどしかないことがわかりました。
「おもちゃの車だったのね」
ところが、中には、ちゃんと人ならぬ猫が乗っていたのです。
茶色いオス猫は運転席から車を降りると、礼儀正しく帽子を取り、
「引っ越しの途中ですが、ひと休みしたいと思いまして」
ユナさんに、あいさつしました。
「猫でも、お店に入れますか?」
「構いませんけど・・・、新しいお住まいは、どちら?」
「湖のふもとです。湖の見えるところに住むのが、妻の夢だから。ぼくら、新婚なんです」
照れくさそうに指さした助手席には、かわいい白猫がいました。
オス猫はメス猫のために、カフェの椅子にきれいなブランケットを敷き、始終、メス猫の様子に気を配っています。
「なんて初々しい。若い頃、私は、どんな場所の、どんな家に住みたいと願っていたかしら?」
忘れてしまいましたが、カフェのオーナーになるとは、夢にも思いませんでした。
ユナさんは、幸福な2匹のために、温かいミルクや新鮮な魚をサービスしました。
「ご親切に感謝します。おかげで素晴らしいひとときでした」
「もっと、ゆっくりしていらしていいんですよ」
「ええ、でも・・・」
すでに、トラックに乗り込んでいるメス猫のほうを、オス猫はチラッと振り返り、
「妻が、美しい女性に焼きもちを焼くので、これで失礼します」
と、車に走りました。
「美しい女性って・・・わたし?」
何十年ぶりかに言われた嬉しい台詞に、猫のトラックが林に消えた後も、ユナさんは一人、顔をほころばせていました。