『海辺のカフカ』アナザーストーリー 作・田村理江
16になった朝、僕はナップザックひとつで家出した。とりたてて家族に不満があるわけでも、居場所がないわけでもないけど、「ここではないどこか」へ行かなきゃならない衝動が身体を自然に動かしただけの話。
夏休み中で、駅は朝から人の列。長距離列車の切符と駅弁を買い、固いシートに身を沈める。スマホで音楽を聴きながら目を閉じる。まる一日、そうしているうち、田舎にしては大きな駅に着き、迷うことなく駅前の古いデパートにしのびこんだ。
今日からここが「僕の家」だ。怖いことなんか何もない。毎年、夏になる度、父さんの車でこの町に来ていた。じいちゃんとばあちゃんが住む町だから。
去年来た時には、すでに家出計画は練り上がっていて、デパートのどこに隠れたらいいか目星はついていた。閉店を知らせるドボルザークが流れる寸前、僕はひと気のない家具売り場のベッド下に身をひそめ、従業員たちが慌ただしくフロアから姿を消していくのを見届ける。天井の明る過ぎるライトが、引き潮みたいに端から消えていく。
警備員の靴音が去り、真っ暗になったら、持参のLEDライトを頼りにベッドの上へと飛び移る。「僕の家だ」と、小さく声を出してみる。
「そうかしら?」
誰かに問われ、ギョッとして声のほうを見た。僕と同じ年くらいの少女が、同じベッドの端に座っていた。