童話作家の堀米薫さんは、肉牛農家として毎日忙しく働いておられます。先の東日本大震災ではご自身が被災しながらも、震災関連のノンフィクションを4冊も出版されています。
被災しながらも書き続ける力はどこから来るのか、堀米さんがノンフィクションにかける情熱とは・・・。いま注目の童話作家にお話をうかがった。
―暗闇の中に希望の光がともった―
―― 著書『命のバトン』で取材を開始したのは2011年7月。東日本大震災が発生から4か月ですが、堀米さん自身被災して大変だった状況なのに、なぜ執筆しようと思われたのでしょうか?
私たち畜産農家のもとには、被災直後から餌屋さんなどを通して、被災した家畜の情報が次々と入ってきました。津波で溺死した牛や凍死した鶏(当時、東北は雪が舞っていました)、原発事故のため置き去りにするしかなかった牛や豚、鶏たちのこと・・・。心が痛むと同時に、津波で石巻の餌会社が壊滅したことによる餌の供給停止のため、我が家の牛たちも餓死してしまうのではないかと不安でいっぱいの日々でした。
そんなある日、「津波が迫る中、宮城農業高校の先生方が牛を助けていた」という小さな新聞記事に、目が釘づけになりました。宮城農業高校は、震災発生時に私がいた宮城県沿岸部の、名取市にありました。「10メートルの津波」というカーラジオのアナウンスに震えながら、私が家へと車を進めていた時、大津波が宮城農業高校に襲いかかっていたのです。
あの大津波を生き抜いた牛がいたことに驚き、牛の命を助けた先生方の行動に、強く心を揺さぶられました。まるで、暗闇の中に希望の光がともったように感じたのです。ぜひ、このエピソードをたくさんの方に知ってほしいと、心の底から思いました。
―― 取材開始時点では、出版先が決まっていたのでしょうか?
取材開始時点で、以前お世話になった編集者さんに、ぜひ本にしたい物語があることを相談しました。編集者さんも賛同してくれましたが、企画が通るまでには、約1年かかりました。もしかしたら、子供たちにとっては、犬や猫の物語のほうが身近だったかもしれません。実際、震災で助かったペットの本は、次々と出版されていました。ただ、牛飼いの自分が書くのなら、やはり、牛の物語を書きたいと思いました。
宮城農業高校の皆さんには、まだ出版が決まってないことをお話ししたうえで、取材させていただきました。さらに、1年間じっくりと取材を重ねることができたことが、結果的にとてもよかったと思っています。農業高校の生徒さんの視点や考え方に、牛飼いの私自身も、ハッとさせられることがたくさんあったからです。
取材先の先生も生徒さんも、被災した自分たちの高校を復興する、という強い意志をもっていました。私も「復興」という同じ目標を持つことができたことで、とても熱心に取材協力をいただきました。(つづく)
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