オニの忘れた子守歌(3/6)

文・伊藤由美   絵・岩本朋子

「ああ、ありがたや。なんまいだぶ、なんまいだぶ」
人びとは、口ぐちにお経をとなえながら、行者を見送りました。
その姿が林の中に消えると、とたんに、また、空が暗くなり、風が木々をゆらし始めました。
「ほうれ、始まったぞ!なんまいだぶ、なんまいだぶ」
だんだんと、はげしさをます雨風の音。
それにまじって、ほら貝と、行者の声がこだまします。

「オン カカカビ サンマ エイ ソワカア~」
カアァ~~ッ・・・
キエ~~ィ・・・・
ギョエェ~~~・・
明け方、行者の声も、ほら貝も、ぴったりとやみました。

「おお、行者様が、オニをやっつけたにちげえねえ! ありがたや、ありがたや」
さぞや、意気ようようともどって来ることだろうと、村人は、お祝いの用意をして、行者の帰りを待っていました。


やがて、そうぞうしいげたの音がして、行者が、坂道を、転げるようにして、もどって来ました。
頭巾は、どこかに、すっ飛び、つえもほら貝も見当たらず、けさは、びりびりに、さけています。

「な、なじょだったべ、行者さま?」
村人が、おずおず、たずねると、行者は、きまり悪そうに、身じたくを整え、こほんと、せきばらいしました。
「大事ない、大事ない。おお、そうじゃ、吉野に、ちょっと、忘れ物をしてな。取りに行って来るほどに、少し、待ちおれ」

「へえ・・・。それで、オニの方は?」
「なに、あんどせよ。結界をこしらえておいたほどに、やつは、当分、山を下りて来れまい。われも、忘れものを取りてから、間もなく、もどるほどに。退治は、その後じゃ」
行者は、あせをぬぐい、あちこちのひっかききずをかくしながら、そそくさと、吉野山へもどって行きました。

伊藤由美 について

宮城県石巻市生まれ。福井市在住。 ブログ「絵とおはなしのくに」を運営するほか、絵本・童話の創作Online「新作の嵐」に作品多数掲載。HP:絵とおはなしのくに

岩本朋子 について

福井県福井市出身。同市在住。大阪芸術大学芸術学部美術家卒。創作工房伽藍を主催。伽藍堂のように何も無いところから有を生むことをコンセプトでとして、キモノの柄作りからカラープランニング等、日本の伝統的意匠とコンテンポラリーな日用品(漆器、眼鏡、和紙製品等)とのコラボレーションを扱い、オリジナルでクオリティーの高いものづくりを心掛けている。また、高校非常勤講師として教えるかたわら、福井県立美術館「実技基礎講座」講師を勤める。