「ああ、ありがたや。なんまいだぶ、なんまいだぶ」
人びとは、口ぐちにお経をとなえながら、行者を見送りました。
その姿が林の中に消えると、とたんに、また、空が暗くなり、風が木々をゆらし始めました。
「ほうれ、始まったぞ!なんまいだぶ、なんまいだぶ」
だんだんと、はげしさをます雨風の音。
それにまじって、ほら貝と、行者の声がこだまします。
「オン カカカビ サンマ エイ ソワカア~」
カアァ~~ッ・・・
キエ~~ィ・・・・
ギョエェ~~~・・
明け方、行者の声も、ほら貝も、ぴったりとやみました。
「おお、行者様が、オニをやっつけたにちげえねえ! ありがたや、ありがたや」
さぞや、意気ようようともどって来ることだろうと、村人は、お祝いの用意をして、行者の帰りを待っていました。
やがて、そうぞうしいげたの音がして、行者が、坂道を、転げるようにして、もどって来ました。
頭巾は、どこかに、すっ飛び、つえもほら貝も見当たらず、けさは、びりびりに、さけています。
「な、なじょだったべ、行者さま?」
村人が、おずおず、たずねると、行者は、きまり悪そうに、身じたくを整え、こほんと、せきばらいしました。
「大事ない、大事ない。おお、そうじゃ、吉野に、ちょっと、忘れ物をしてな。取りに行って来るほどに、少し、待ちおれ」
「へえ・・・。それで、オニの方は?」
「なに、あんどせよ。結界をこしらえておいたほどに、やつは、当分、山を下りて来れまい。われも、忘れものを取りてから、間もなく、もどるほどに。退治は、その後じゃ」
行者は、あせをぬぐい、あちこちのひっかききずをかくしながら、そそくさと、吉野山へもどって行きました。