「今さ」
「えっ!」
チェシャはこはく色の目をみはりました。
「そりゃまた、ずいぶん、急だね」
「急でもないさ。おそいくらいだよ。君のような家ネコは気づかないだろうけど、外で暮らしていると、夜ごと、寒さが増しているのが分かるんだ。出発がおくれれば、それだけ、山までたどり着くのが難しくなる。一日だって早いほうがいいんだよ」
「そりゃ、そうだろう。だけど、準備ってものがあるんじゃないの?」
「どんな?」
「どんなって・・・」
チェシャは口ごもりました。
ハトの旅行の準備って、どんなものなのでしょう? たとえば・・・。
「一晩、ゆっくり、休んでからとか・・・。腹ごしらえするとか・・・。あと、友だちや家族にお別れを言うとか・・・」
「一晩、ゆっくりなんかしていたら、今晩の冷えこみで、明日の朝には、こごえ死んでいるかもしれないよ。それに、君がこんなに大きなパンをくれたんだもの。私は、今ほど、腹ごしらえできている時はないよ。そして、今の私には家族も友だちもいないんだ。お別れを言わなくちゃならない相手なんか、一人も・・・」
と、言いかけて、ハトは、ちょっと、考えました。
「いや、一人だけ、友だちがいたな。本来なら敵同士なのに、ハトの私にこんなに親切にしてくれた、チェシャ、あんたが。だから、ここで、あんたにお別れを言えば、もう、思い残すことは一つもないよ」
ハトはチェシャに近づいて、その目のあたりを、くちばして、やさしく、つつきました。