「私のページ、まだだったから、今から書くわね。清子ちゃん、先にお帰りなさい」
「・・・いえ、終わったら片付けます。待たせてください」
待ちたかった。紅先輩と一緒の時間、少しでも長いほうがいい。
「ふふ。清子ちゃんは要領が悪いのね」
紅先輩は西洋の映画スタアのような微笑みを私に向けた。それだけで満足だった。
「じゃあ、急ぐわ。エス語で、ひとことだけ」
最近、はやりの国際共通語は、知識人たちに愛されていて、本屋さんで売っている雑誌にもエスペラント語の副題付きが目立つ。今年の学校の会誌に『lumo(光)』と名付けたのも、紅先輩だった。
ミメオグラフォ(エスペラント語でガリ版機)の前に座った紅先輩は、鉄筆を執るなり、サッと何か書き、
「終わったわ。ご苦労様」
もう立ち上がった。今さっきまで紅先輩の優雅な指が触れていた鉄筆が、机の上に無造作に転がっている。誰も見ていなかったなら、盗みたくなる衝動に駆られていた。
横目で見た原紙には、「Gis revido(さようなら)」と書かれていた。そうだ、今月末には、紅先輩はこの女学校を辞めて、巴里へ行ってしまう。金色の髪の人たちが行き交う、絵のような街。遥か遠い場所。
「清子ちゃん、知っている? 外国は秋に新学期が始まるのよ。日本は桜が咲くから、春始まりなのかしら?」
できるなら、紅先輩をこのまま、引き止めたかった。外国なんか行かないでください。卒業するまでずっと、この学校にいてください。永遠にこの街で暮らしてください。そうしたら、いつかまた会えるのに・・・。
「あら、こんな時間」
紅先輩は細い腕に巻いた、舶来の腕時計に目をやった。