恋の形見に ーーBOOK展2023より

文と絵・田村理江

きっと大人になっても、この想いは変わらない。
さっきの接吻は・・・。
お手伝いの御礼なんかじゃない。
貿易商をやっている紅先輩のお父様が、事業に失敗なさって、学費の高いこの女学校から去らなければならないことを、私は知っていた。
銀行家の父から、こっそり聞いてしまったのだ。この学校の、いや、全世界の誰にも口外していない。

だけど私には、紅先輩のおっしゃる言葉のほうが、現実のように思えていた。紅先輩が西洋のふんわりしたドレスをまとい、大きな旅行鞄をさげて、虹色のテープで埋まった船に乗り込む姿が、たやすく想像できる。

私は桟橋まで、いそいそとお見送りに行くだろう。甲板から私を見つけた紅先輩は、
「お土産を買って帰るわ。待っていてね」
と、手を振って別れのテープを投げるだろう。私はそのテープを拾う。
虹色のテープの端と端、二人でしっかり握り合い、心はぴったり繋がれる。
夢想だ。友だちに語ったら、笑われるに違いない。でも、笑われたっていい。私は本気なのだ。初めての恋。胸がこんなに痛いのは、本当の恋でしょう?

私は、制服のスカートにそっと手を寄せる。ポケットの中、硬くて長い物に触れる。
鉄筆。
悪いことをしたのはわかっている。だけど、止められない。罪を犯してだって、「今日」大正12年9月17日という日を、形に残しておきたかった。
そうしたら、これからも一人で生きていけるだろうから。苦しい時や悲しい時に、この鉄筆を取り出し、自分を慰めればいい。
Mi am as vi
すっかり夜空に抱かれた校庭を横切り、私は校門を足早にくぐって帰路についた。
(おわり)

田村理江 について

(たむら りえ)東京都生まれ 成蹊大学文学部日本文学科卒業。日本児童文学者協会第15期文学学校を終了。 第6回福島正実記念SF童話賞を受賞して、『ガールフレンドは宇宙魔女』(岩崎書店)を出版。 児童書の作品に『リトル・ダンサー』(国土社)、『夜の学校』(文研出版)、『魔の森はすぐそこに・・・』(偕成社)など。絵本の作品に『ふなのりたんていラッタさん』(フレーベル館)、『ハンカチのぼうけん』(すずき出版)など。 HP:田村理江のページ