◆新聞社で「通信部」に
半年後、上司に勧められて、新聞社の入社試験を受けました。年齢的には最後のチャンスでしたが、アルバイトの身でも毎日、めちゃくちゃがんばっていたのが認められたのだと思います。難関を突破できました。
一度、消えかけていた夢の編集者生活が、これによって名実ともに保証されました。
フィクションでもノンフィクションでもいいから、これまでだれも読んだことのないすばらしい作品を書いてくれる人をみつけて、本にして売り出したいと思いました。
そのためには、これまで以上にたくさん本を読んで、いま、どういう作品が求められているかを知らなければいけません。このまま一生、編集者であり続けたいと思いました。
ところが、わたしが入った会社は出版社ではなく新聞社だったのです。出版局は新聞社の中で本や雑誌を出版している部署です。
入社してから10年ちょっとは、出版局で編集者としての仕事を続けることができました。でも、人事異動が何度もあって、あるときとうとう編集局という、新聞記者の仕事をせざるを得なくなりました。編集者ではなくて取材記者です。
さらに、新人の取材記者は必ず一度はいかなければならない決まりになっている、支局といって、地方での記者生活を送らなければならないはめに陥りました。
千葉県の木更津市にある、新聞社の支局の最前線にあたる「通信部」に配属となったのです。ところが、ここでの仕事が、想像していたよりずっとおもしろくて・・・。
このときはもう結婚していて、妻と3歳の娘との3人暮らしでした。通信部とは、新聞社が借りてくれた一軒の家(マンションでしたが)に家族ごと住んで、そこを足場に、辺りで起きるあらゆる事件、出来事、催し事を取材し、写真をとって、原稿を書いて、支局や本社に送るのです。
木更津通信部がカバーしている地域は、木更津、袖ヶ浦、君津、富津、市原の5市にわたりました。その広大な地域を、たったひとりで、車で走り回るのです。土曜も日曜も、昼も夜もありません。「われこそは新聞社なり」という気分は最高でした。