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電話取り外し四郎がとりはずされてからというもの、オレの元気はしぼんでしまった。
佐藤くんも同じ。塾でオレたちはため息ばかりついていた。
それから一週間が経った。和田さんから、会社にきてほしいと連絡があった。
「きっと四郎をとりはずしたいいわけでもするつもりなんやろ。いまごろおそいわ」

その日の夕方、学校の帰りに和田さんをたずねると、受付の人が案内してくれた。
「こちらで和田がおまちしております。どうぞ」
きれいなおねえさんが、ていねいにおじぎをした。この前とずいぶんあつかいがちがう。
ドアが開くと、そこは大きな部屋だった。まん中に立派なソファーがあり、本だなには、むつかしそうな本がぎっしり並んでいる。
ソファーの向こうに、また立派な机があって、なんと和田さんがすわっている。
「和田さん、ひどいわ。四郎のことなんとかするって、約束したやないか!」
オレは思わずどなった。
「そのことについて、幸平くんにお話をしようと思いまして」
「いいわけをしたってあかんで。みんなおこってるんや」
「とにかくお話を聞いてください。幸平くん」
和田さんは立ち上がった。
「だいたいな、和田さん、そんなとこにすわって、えらそうになにしとるんや。社長にみつかったら、おこられるで」
「あのぅ、和田が、当社の社長なのですが」
おねえさんが小さな声で教えてくれた。
「えっ! しゃ、しゃちょう? 和田さんが、この、会社の、社長!?」
オレは腰がぬけて、ソファーにすわりこんだ。
「失礼しました。社長の和田でございます」
「あーびっくりした。社長ならそうと、はよう教えてえな」
オレは汗をぬぐった。
「すみません、いいそびれてしまって」
「心ぞうが止まるかと思うたで」
「点検係のときとちがって社長になってしまってからは、四郎とは会えなくなって。ずっと気になっていたのですよ」
和田さんはソファーにすわった。
「でも四郎をとりはずしてしまったやないですか。この会社にとって、お金をかせげない電話は用なしなんや」
オレは口をとがらせた。
「幸平くん、そうおっしゃらずに、私の話を聞いていただけませんか」
和田さんは書類をオレの前に広げた。

「幸平くん、どうだった?」
「四郎、あかんわ、『決定事項です』の一点張りで話にならん」
「そうか、やっぱり・・・」
四郎はオレの話を聞いて、また青緑色になってしまった。
「でもな、電話会社の人がおまえを見たいってついてきたんや。おじさん社員で、あんまりたよりにならんみたいやけど」
オレは和田さんを手招きした。
「四郎くん、やっぱりきみだったか、四郎くん!」
和田さんは、急に四郎をなでまわしだした。
「その声は和田さん、和田さんやないですか!」
四郎は受話器をがたがた鳴らした。
「なんや、二人とも知り合いか?」
「そうなんです、私が20年前に点検係りをやっていたころからの友だちで、四郎という名は私がつけたのです」
和田さんはハンカチで四郎をていねいにふきはじめた。
「四郎くん、あれからもずっとがんばってくれていたんだね。きみのことは、私がなんとかしよう」
「和田さん、あんたの力でほんとになんとかなるんか?」
見かけで決めてはいけないが、どうも和田さんはたよりなさそうだ。
とりはずしの期日がせまっているいま、オレは和田さんに、四郎のことをよくよくお願いをした。

ゆがむ四郎ところが3日後の夕方。
「やめろ! 四郎をとりはずすのは」
「そうだ、ひどいぞ」
新宿東口に大声がひびいている。
「四郎くんがかわいそう」
女子高生が泣き出した。
たくさんの人が見守るなか、二人の電話会社の職員が無言で四郎をはずした。
「四郎! 四郎!!」
四郎はオレの悩みをあんなに親身になって聞いてくれたのに、オレは四郎の力になってやれなかった。
職員に運ばれていく四郎の悲しそうな顔が、オレの目に焼きついた。
あの和田め、「私がなんとかしよう」なんて調子のいいこといったが、なにもできなかったじゃないか。
あんなおっちゃん社員に四郎のことをたのむんじゃなかった・・・。

翌日、オレは電話会社で、四郎のとりはずしを中止するよう申し入れた。
「おっしゃることはわかりますが、会社の決定事項ですので」
係の男は、書類に目を通しながらいった。
「でも、あの公衆電話は特別なんや!」
「ねえ、ぼく、何度いったらわかるかなあ。会社が決めたことは、かえることができないんだよね。3日後にはとりはずすから」
「みんなの声を伝える会社が、あんな大事な電話をはずして、それでええんか!」
受付カウンターオレはカウンターをたたいた。オレの大声で、職員たちの仕事の手が止まった。
みんなは、オレのほうを見て、クスクス笑ったり、ひそひそ話をしている。
「もうええ! 子どもやと思ってバカにして」
オレは荒々しくドアを開け、部屋をとび出た。
足早にろうかを歩いていると、オレを呼び止める声がする。
「お客様、新宿東口の電話で何か」
ふりむくと小太りの男の人が立っていた。
「あんたはだれや」
「私はこの電話会社に長いこと勤めているもので、和田と申します。もしよろしければ、外のカフェでくわしく聞かせていただけませんか」

オレはオレンジジュースを飲みながら、和田という人に四郎のことを話した。
四郎はいろんなお国ことばを話せ、地方出身者の話し相手になっていること、四郎のおかげでみんな元気になっていることをすべて話した。
「ほう、そうですか。なるほど」
和田さんは身を乗りだし、オレの話を熱心に聞いてくれた。
「幸平くん、私をそこに連れていってくれませんか」
和田さんは立ち上がった。

久しぶりに四郎のところに行くと、四郎の色が青緑色になっている。
「どうしたんや、なんか顔色が悪いで。働きすぎとちゃうか」
「幸平くん、ちがうんや。ぼくは今月でとりはずされることになってしもた」
「なんやて!」
オレはもう少しで、受話器を落とすところだった。
顔色悪い四郎ケータイやスマホが増えたせいで、公衆電話を利用する人がへった。だから代金をかせげない公衆電話を、電話会社がとりはずすことになっているそうだ。
「でも、行列ができるくらい、かけにきてたやないか。四郎はもうけてるはずやで」
「じつはな、悩み相談してるときは、ぼく、お金とらんかったんや」
四郎はランプを力なく点滅させた。
「なんで?」
「本来の通話とちがうから、お金とるわけにはいかんし。それに悩み相談がすんだら、みんなスマホかけて、ぼくを使ってくれへんから・・・」
「四郎は正直すぎるで。よし、オレが電話会社にかけおうたる」
オレは受話器をおいて、ポケットからスマホをとりだした。
「あっ、すまん、すまん。いつものくせで」
オレは頭をかいた。
「ほら、みんなそうなんや。スマホばっかり」
四郎はむくれた。
「そうおこるなって。ええと、電話会社は」
オレは四郎のプッシュボタンをおした。
「もしもし、新宿東口の四郎、いや、公衆電話をとりはずすってきいたんですけど」
「はい、係のものとかわります」
女性の冷たい声がひびいた。
「はいはい、えーっと、新宿東口の緑の公衆電話ですね。型が古いうえに、利用者も少ないので、5月いっぱいでとりはずさせていただきますが」
今度は男の声。事務的な話し方だ。
「でも、スマホ持ってない人もいるから、ここに公衆電話がないと困るんとちがいますか」
「そうおっしゃられても、決まったことなんですが」
「じゃぁ、あと10日で利用者が増えたら考え直してくれますか」
「無理だと思いますが、いちおう検討させていただきます」
係の男は事務的で、オレの申し出を真剣にとりあおうとしなかった。
よーし、見てろよ。絶対に四郎を救ってやる!
オレはすぐ佐藤くんに、四郎の危機をラインで伝えた。佐藤くんは友だちに四郎のことを知らせてくれた。四郎の危機はメールやラインで次々に広まり、1時間後には四郎のところに電話をかけに来る人がやってきた。
翌日からは、四郎のところに長い行列ができた。
「四郎くん、がんばって。負けたらだめよ」
みんな悩み相談もそこそこに、テレカを手に電話をかけた。できるだけ長い時間、長距離でかけた。なかには国際電話をかける人もいた。

「四郎、どうや、だいぶんかせいだやろ」
「うん、幸平くんのおかげや。どんどんぼくを使ってくれて、うれしいわ」
四郎は、元気よくランプを点めつさせた。
「あした、電話会社に行って、四郎のことお願いしてくるわ。帰りによるからな」

この日以来、オレは土曜日の午後になると、新宿東口の電話四郎のところに立ちよるようになった。
四郎と話せるのは、タイミングがある。ランプが消えているときだ。
四郎はオレの姿を見つけると、ランプを消してくれる。そうすると、「この電話は使えない」と思って、だれも四郎に近づかないからだ。
といってもケータイやスマホを持っている人が多いので、四郎を使おうという人はほとんどいないのだが。
「オレな、大阪に好きな子がいるんや。ときどき電話で話すんやけど、今年は中学受験やろ。これからどうしたらええんかなあ」
「ラブレターを毎日書くのはどうや、幸平くん」
「手紙か? 古くさいな。今やメールとかラインの時代やで」
こんな具合に、オレは四郎とその日の学校のこと、家族のこと、彼女のことまで話すようになった。
四郎のおかげで、オレは毎日とても元気になった。学校でも塾でも、クラスメートと話がうまくできるようになってきた。
こんなすごい電話があることを、ひとりじめにしてはもったいないと、オレは塾でとなりの席の佐藤くんに話してみた。佐藤くんはオレと同じようにお父さんの仕事の都合で宮城県から引っ越してきたばかり。ちょっと引っ込み思案だ。
「東京の友だちとは話があわねなあ。四郎さん、オレは国にさ、けえりてえんだ」
「もうすこす、しんぼうしてみさい。佐藤くん」
翌日、佐藤くんは明るい表情で塾に来た。
「幸平君。ぼく、すごくすっきりしたよ。また四郎くんのところに電話しにいくつもりだ」
佐藤くんは、2年下の妹のユリちゃんに、四郎のことを話した。ユリちゃんは、家庭教師で宮崎出身の西先生に話した。西先生は、友だちで沖縄出身の花城さんに、という具合に四郎のことが口コミでどんどん広まっていった。
いつの間にか新宿東口の緑の公衆電話は、お国ことばで悩みの相談にのってくれると評判になった。いつ行っても、だれかが四郎と話している。

ある日の夕方、四郎のところにいってみると、なんと行列ができている。女子高生に、中年サラリーマン、そして小学生まで・・・十数人が四郎の電話の順番を待っている。まるで人気占い師のようだ。
少し離れてオレは、しばらく様子を見ていた。
「ありがとう、四郎くん。私、明日からがんばって学校に行ってみる」
それまでうなだれて受話器をにぎっていた女子高生に笑顔がもどった。どうやら学校でいじめにあっていたみたいだ。彼女はせすじをのばし、元気よく改札口の方に歩いていった。
同じように、疲れた中年のサラリーマンも、不安げな小学生も、電話のあとすっきりとした顔で四郎のもとをはなれていった。
「四郎のやつ、すごいで。もう地方出身者だけやなくて、大人も子どもも、どこの人にもみんな元気を分けているんや」
オレは飛び上がらんばかりだった。そして四郎をみいだして、四郎のことをみんなに紹介できたことに鼻高々だった。

「うわっ! 電池切れや」
オレはJR新宿駅東口の人ごみの中で立ちすくんだ。スマホの液晶画面の電池マークが点めつしていたのだ。
オレ、山本幸平、小学6年生。5年生の冬に、父ちゃんの仕事の都合で大阪から東京に引っ越してきた。
今日、オレは新宿に参考書を買いに来た。でも途中で、ゲーム攻略本を読みふけっていて夕方になってしまった。
「電話、電話、公衆電話は・・・」
オレはあわてて探したが、携帯電話やスマホを持つ人が増えて、まちの公衆電話はどんどん減っている。なかなか見つからない。
「あった!」
かいだんの近くに公衆電話を見つけ、かけよった。
汚れた四郎「うわっ、なんや、えらい古い電話やなぁ」
今どき見かけない緑のプッシュ式の公衆電話だ。受話器をとってみると、電話のランプが消えているのに気がついた。
「あっちゃー、これ、使えへんやん」
オレは受話器をおいた。
「こんな時に、もう。こまったなぁ」
オレはあたりを見渡した。このへんに公衆電話はないようだ。
「母ちゃんに電話しないと、またおこられてしまう」
ためいきが出た。
「元気だしなはれ」
「えっ、だれや?」
オレはみまわした。あたりはサラリーマンや買い物帰りの人が足早に通るだけ。
「ぼくや。いま、きみがかけようとした公・衆・電・話」
オレは思わずふりかえった。まさか、電話が・・・。
でもたしかに、この公衆電話がオレに話しかけたような気がする。
「さぁ、はよ、テレホンカードを入れて」
「うわっ! なんで電話がしゃべるんや、しかも大阪弁やで」
オレは気味悪くなって、あとずさった。
「こわがらんでもええ。わけはあとで話すから。テレカ入れてみ」
電話はランプを点めつさせた。
「う、うん」
緑の公衆電話にうながされ、オレはテレカを入れた。
「お母さんに電話するんやろ。その前にぼくにちょっと話してみ。すっきりするで」
「う、うん」
「はよ、話してみ。なんでも聞いたるさかい」
そう言われても、すぐに話せない。
だまっていると「はよう、話してみ」と急かしてくる。
「オレな。大阪から東京に引っ越して来て5か月やねんけど、友だちできへんねん」
「そうかあ、やっぱり大阪が恋しいやろなあ」
公衆電話はやさしく聞いてくれた。
オレは小さいときのくせが出て、受話器のコードを指でいじりながら話しだした。
東京に出てきてから人前で話すとき、かっこ悪いから大阪弁を出さないようにしていた。でもこの電話には、大阪の友だちと話すときのように自然にことばが出た。
いつの間にか公衆電話相手に、学校のこと、気が進まない中学受験のことをぐちっていた。
「いろいろ話せて、なんかすっきりしたわ。電話さん、ありがとう」
「どういたしまして。いやなことあったら、いつでも来てな」
公衆電話がにっこりわらった。
「でも電話さん、なんでしゃべれるねん? しかも大阪弁で」
「長いこと電話やってるとな、知恵がついてしゃべれるようになったんや。大阪弁だけやないで、東北のことばも九州のことばもしゃべれるで。なんせ東京はいろんな地方出身者がおるさかい、お国ことばは、みーんなおぼえてしもた」
「また来るわ。電話さん」
オレは受話器をおこうとした。
「なぁ、『電話さん』はやめてえな。ぼくにも名前があるんやで」
「へぇー、電話のくせに名前か。なまいきやなぁ。で名前は?」
「四郎や。人呼んで『電話四郎』」
「でんわしろう? しゃれみたいな名前やな。オレ、幸平。山本幸平いうねん」
「幸平くん、元気でな。また来てや。そうそう、お母ちゃんへの電話、忘れたらあかんで」
そういうと、電話四郎はランプをつけたり消したりした。どうやらウインクのつもりらしい。
四郎のおかげで、ゆううつな気持ちがさっぱりした。
四郎にもう一度目を向けると、さっきと様子がちがう。
「おい、四郎。どないしたんや。なんか普通の公衆電話みたいやで」
「あほ! ぼくはもともと公衆電話や。もう仕事やから普通にもどってるんや。テレカ入れて電話せな」
「あは、そうか。ごめんごめん。」
オレは母ちゃんに電話をした。母ちゃんはめずらしく小言をいわなかった。

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犬やねこが消えた
井上こみち 著
ミヤハラヨウコ 絵
学習研究社

小さい頃から犬やねこがいつもそばにいた私にとって、この本は衝撃的で、出版されると、むさぼるように読んでいたものである。
2008年に出版され、某紙の書評で紹介したことがあるが、戦後70年を迎えるにあたっていま一度、皆さんに読んでいただきたく紹介する次第である。

先の大戦で兵器を作るため、人々が鍋や釜を供出したことはよく知られた事実である。ところが、家族の一員だった犬やねこが供出させられたことを知る人は少ない。
本書は、戦争で引きさかれた人と動物の悲しいできごとを、ねばり強い取材でまとめあげたノンフィクションである。

戦況が悪くなってきた1943〜44年頃、軍部は家庭犬を供出せよとの通達を出した。
その目的は、
・寒い戦地の兵士のための毛皮をつくる
・狂犬病をなくす
・空襲時に犬が暴れ出す危険を回避する
というものであった。
この事実を得た著者は、取材を急いだ。なぜなら犬やねこの供出体験者はみな高齢だったからだ。
日本各地への取材は続く。しかしその取材は、体験者から悲しい思い出を聞き出すつらいものであったことは想像に難くない。

愛猫を供出したとたん、断末魔の声を聞いた人、供出された犬・ねこを撲殺する役目を負った人、供出から犬を守った人、それぞれの証言を読む度に、大人も子どもも滂沱(ぼうだ)の涙を流さずにはいられないだろう。そしてこれらの証言から、あらゆる命を奪う戦争の恐ろしさを感じずにいられない。

戦後70年を迎え、いままで我が国が守り続けてきたものが崩れようとしている。そんな時だからこそ、この作品を通して、いま一度、命の尊さや戦争のおろかさについて、親子で話し合う機会をぜひ持ってほしい。
もちろん、動物が供出されることなど、もうないと信じたいが、戦争は人を狂気にかりたてることを忘れてはならない。
著者はいう。もの言えぬもの、弱い立場にあるものが安心して暮らせる世の中であってほしいと。人と動物をテーマにノンフィクションを多数手がけている著者の、重みのあるメッセージを多くの読者に受け取ってほしい。(2015年7月記)

しばらくすると、カウンターの方から、ほんのり、甘いしょうゆのにおいがただよってきた。
「またせたな。アレルギーとか、大丈夫か?」
ブルンブルンと首をふる陽太の前に、ゴトウの太い腕で、どんぶりが置かれた。
どんぶりのふちをいろどったわかめの中に、しらすや昆布で和えられた納豆と、半熟のゆでたまごがおどっている。ゴマの風味が、かすかに香って、食欲をそそる。

ゴトウうどんを出す

「食ってみろ」

はしですくうと、うすいこはく色の汁につかった細目のうどんが、白くキラキラとかがやいていた。カツオのあとから、こうばしい香りがふわりとただよい、陽太の鼻をくすぐる。
陽太ののどが、ごくんとなった。見上げると、ゴトウがこくりとうなずいた。それを合図に、陽太は、どんぶりを手に取った。
「うっ・・・うまい!」
一口食べると、息をつく間が惜しくなった。
陽太は、どんぶりとはしをにぎりなおすと、一気にうどんをかきこんだ。少しかためにゆでられたうどんにからまっただし汁が、口の中をほこほこと温める。
陽太は、うどんを食べ終わると、ほうっと息を吐いた。
「うまかったか?」
ゴトウの探るようなかすれ声に、陽太は顔をあげると、満足そうな笑みを浮かべてうなずいた。
「これ・・・すごくうまかったです。でも、なんでおれに?」
「あぁ、これ、おまえのために作ったものだから。食ってもらった」
驚く陽太に、ゴトウは、照れくさそうに頭をかいた。そして、急に真顔になると、ズバッと切り込んだ。
「おまえ、背が低いこと気にしてるだろう」
いきなりの指摘に、陽太はぐっとたじろいだ。こわばった顔を見られたくなくて、目をそらすとうつむいた。
ゴトウは、テーブルをゆっくり回ると、陽太の向かい側のイスに腰を下ろした。
「おれ、半人前で店をついだものの、オヤジの味も、満足いく味も作れなかった。客たちも、『味が違う』って出ていくし。いっそ、店、止めちまおうかと思ってたんだ」
陽太は顔をあげ、ゴトウをみつめた。
「でも、おまえが年中運動公園で飛んでるのを見てたら、こんなはんぱで止めていいのかって思えてきてな。そしたら、昔のこと、いろいろ思い出してさ。おれも負けたくない。せめて、おまえのためのうどんでも作ってみよう、と思ったんだ。少しこうばしい味がするだろう」
ゴトウは、うどんと陽太を見比べると、うれしそうにふっと笑った。
「飛ぶおまえを見ていたら、オヤジの故郷のあご(トビウオ)を思い出してな、かくし味に入れてみたんだ」
ゴトウは、1枚の写真を取り出した。
「見てみろ。おれが中学に入ったばかりのころのものだ」
写真の中で、弥生ウイングスのユニフォームを着た小さな少年を囲んで、小さなおじさんとおばさんが、幸せそうに笑っていた。
「おれもこのころ、身長が伸びないことを悩んでた。そのころだ。ちょうどオヤジが、だしの味を変えてな。そしたら、客が増えて、おれも少しずつ背が伸びていったんだ。だが、それがこの味だったなんてな・・・」
ゴトウは、うどんの器をなつかしそうに見つめている。
陽太は、ゴトウの話をききながら、彼が、「アシストのゴトウ」と呼ばれていたのを思い出していた。
「今さらだが、オヤジの思いに気づけてよかったよ。おまえのおかげだ。ありがとな」
ゴトウは厚い手で、陽太の手をとった。
(こんな厚い手と大きな体なのに、何でアシスト?)
「アシストのゴトウって・・・」
思いが口をついていた。陽太のつぶやきに、ゴトウは、「あぁ」とはずかしそうに笑った。

「小さかったころな、逆にそれを武器にできないかって考えたんだ。そのころ身につけた武器が、体が大きくなった後でもおれを支えてくれたんだな。バスケットもうどんと一緒だ。バスケットは五人でチームだろう。うどんも、だし、めん、具材、みんな集まって力になる。おまえの武器をのばせばいいんだ」

ゴトウは、イタズラを思いついたかのように、にやりと笑った。
「この、ネバギブのびーるうどんは背をのばすぞ。いつでも食べに来い」
ガハハハとゴトウが笑う。
陽太は、居すわっていた鉛が、とろけてなくなっていくのを感じていた。
こわばっていたほほが、ゆるんでいく。自然と笑いがこみあげてくる。
「うどん、うまいけど・・・ネーミング変・・・」
「そうかぁ? 一晩考えたんだぞ」
陽太は、うれしさをかくすように悪態をつくと、首をひねるゴトウと笑い合った。

ゴトウの思いが、陽太のお腹と心をじんわりとあたためていく。陽太の中にわきあがったあついものが、エネルギーへと変わる。
陽太は、お腹の中から大きな力がわいてくるのを感じていた。
「今度、お店が休みの日、練習、見てもらえませんか? えっと・・・友だちも一緒に」
「あぁ、構わないが、シュートなら、一人の方がよくないか?」

「いえ、パスの練習したいんです」
陽太は、ゴトウをまっすぐに見つめると、すっきりとした笑顔を向けた。そんな陽太の頭を、ゴトウは、くしゃりとなでた。

陽太手をかざす「ごっそさまでした!」
陽太は、感謝を声にのせると、店を出た。
陽太の目に、暮れはじめた夕日に照らされたバスケットゴールがうつった。
(あぁ、おれも強くなれる)
陽太は、遠かったゴールをつかむように、ぐうっと手をのばした。

 

週明けの月曜日、部活がはじまるとすぐ、コーチの義道(よしみち)先生がみんなを集めた。
「来週の金曜日は、東和(とうわ)小学校と試合をするぞ。スタメンは、池辺淳(いけべじゅん)、吉岡浩司(よしおかこうじ)、田口(たぐち)・・・それと、髙良陽太(たからようた)、以上。準備しとけよ」
義道先生が、こぶしをぐっとにぎり、「勝つぞ!」と笑った。チームのみんなも自然と笑顔になる。
「っしゃー! 気合入れていくぞ!」
淳を中心に円陣を組んで声をあげ、練習へと散っていく。
陽太は、スタメンに選ばれたうれしさと同時に、ひたひたとおしよせる不安にも、フタをすることができずにいた。
淳の身長は、165㎝を超える。浩司も160㎝を超えたと言っていた。シュートだけの成功率では、陽太は、チーム内でも1、2の位置についている。しかし、試合になると、どうしても淳にはかなわない。低い位置でのドリブルや俊敏さでゴール下までたどり着いても、ボールを放つと、淳や浩司のような背の高い選手たちに、空中で取られてしまう。
壁のように立ちはだかった、紅白戦の時の淳の姿が、重くのしかかる。

陽太バスケ(また、空中で取られたら。やっぱり背が低いと使えないって、思われるんじゃないか)
弥生ウイングスへの入団がかかる陽太にとって、背丈の問題は大きい。だからこそ、少しでも実力をつけようと、陽太はずっとひとりで、自主練習をつづけてきた。だが、どんなに飛んでも、ようやく150㎝をわずかに超えた陽太に、淳の身長は遠かった。

それでもあきらめきれず、陽太は土曜日の今日も、運動公園で練習をしていた。人気(にんき)のない公園には、陽太以外の人影は見えない。
「くそっ!」
投げるたびに決まるシュートが、逆にうらめしい。
(ボールみたいに、ゴールまで、おれの手も届くといいのに・・・。ダンクとか・・・決めてみたいなぁ)
陽太は、自分のはるか高みにそびえるゴールをぐっとにらんだ。どうしようもないきょりの長さが悔しく、歯を食いしばる。
「おいっ!」
そのとき、陽太の頭に、野太い声がふってきた。声の方に顔を向けると、うどん屋のゴトウが、いつもの仏頂面(ぶっちょうづら)で手招きしていた。
(おれ、なんかしたか・・・)
陽太は、おそるおそるフェンスの向こうに回り、うどん屋へ行った。
「なんですか?」
「ちょっと来い」
ゴトウに誘われて店に入る。店内は、午後3時を回って、静まりかえっている。

「ここに座って待ってろ」
ゴトウはそう言うと、のれんをくぐり、ひとりカウンターの中へ入って行った。

4年生からはじめた部活のミニバスケットボールも、年明けには引退だ。引退するとすぐに、中学生から入れる地元のバスケットチーム、弥生(やよい)ウイングスの入団テストがある。自然と、部内の紅白戦にも熱が入る。
「陽太(ようた)!」
フリースローライン手前で、淳(じゅん)の前に出た陽太に、白組の仲間からボールが渡った。

陽太と淳残り時間30秒を切って、試合は47対46。キャプテンの淳(じゅん)が率いる紅組が、わずかにリードしている。
陽太は、ちらっと周囲を見た。ゴール下に大柄の浩司(こうじ)が、ぬぼっと立っていた。

(あの位置なら浩二にパスしても・・・。でも、シュート打つなら、おれの方が確実だ)
陽太は、ボールを受け取ると、淳の体のわきを、ワンドリブルですりぬけた。目の前が開ける。正面に、ゴールが見えた。
(よし、行ける!)
陽太は、足のばねを使って、思いっきり上へ飛んだ。
「行け、逆転シューット!」
味方の声に後押しされるように、頭上のゴールめがけて、ボールを放った。
だが、ボールは、陽太の手をはなれたとたん、壁のような影から放たれた手で、地面に叩き落とされた。淳だった。
会場から、ため息と歓声があがる。
「リバウンド―ッ!」
コートわきから聞こえた声に、陽太は、地面におりるとすぐ、自由になったボールを追った。
だが、ボールはすでに、紅組に渡っていた。
そのとき、試合終了のホイッスルが会場にひびいた。紅組の勝利だった。
「ナイスシュートだったのに、おしかったな」

「どんまい」
肩を叩く浩司たちの声が、空しく胸をすりぬけていく。
最後のシュートをはばまれたくやしさがぬぐえず、陽太は、なかなか顔をあげられない。
「やっぱ、バスケはタッパ(身長)だよな」
淳が自信に満ちた声で話しながら、紅組のメンバーと肩を抱き合い、集合をかけた。
「浩司、おまえ、もっと積極的にボール取りにいけよな! アキオは、フェイクに惑わされ過ぎだし、ダッシュが遅い。それから・・・」
淳の、キャプテンとしてのダメ出しがつづいている。
「陽太は、ラストシュート惜しかったな。おれが飛んでなかったら入ってたと思う。でも、あの場合は、浩司にパスする手もあったぞ」
「バスケは身長」の言葉が、陽太の心にじわじわとしみ込んでいく。
(弥生ウイングス、落ちたらどうしよう・・・)
言葉が鉛(なまり)のように、陽太の中に、ずしんと居すわった。