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この日の学校からの帰り道、ぼくは、べにちゃんにネクタイとの取っ組み合いのいきさつを話した。また、今までの嘘をすべて話した。
本当は今日までは、ネクタイを、いやなやつだと思っていたこと、手紙を渡すのが怖く、気持ちがたかぶって取っ組み合いになってしまったこと。

そして、べにちゃんが大好きだということを。
べにちゃんは話せば話ほど、目をまん丸にして驚いていた。
べにちゃんにずっと嘘をつきつづけるなんて、できやしない。そんなのは、ぼくとべにちゃんなんかじゃない!

今のぼくの気持ちのなんと澄んだことか!  ぼくに嘘はない、これだけでぼくの気持ちのなんと誇らしいことか!
その夜、ほくは群青色の窓を開けて眠った。
すっきりとした、春の夜気を感じたかった。
部屋を春でいっぱいにしたかった。

澄みわたる青空のもと一帯に群衆を集め、ぼくは目の前に並んでいる、お釈迦さまとイエスキリストさまと閻魔さまに、べにちゃんがいかにステキか、ネクタイのやつが鼻につくところもあるけれど、どんなにいいやつかということを、得意げに説教している光景だった。

帰ってからぼくは、きのう以上にてひどく叱られた。
でも、ぼくはきのうよりもさらにお説教に耳を傾けることができなかった。
叱られながら、どうしてもぼくは、ネクタイのことを考えずにはいられなかったから。

翌日、学校にいき、イスに座ろうとしたときだった。
ネクタイがぼくのところへやってきた。まだ手にかばんを持ったまま。ネクタイは教室に入るなり、自分の席にはいかず、直接、ぼくのとこにきたようだ。

なにごとかと警戒するぼくに、ネクタイはいった。
「ちょっといいかな、竹春。ふふん」
ネクタイと屋上にいく。二度目だ。朝日がまばゆく、屋上の地面に、フェンスの影が、面白いカタチとなって落ちている。

春のわた雲が青空のなかを流れていた。
「・・・そのぅ、なんだい、竹春、ふふん。・・・いや、きのうはどうも悪かったなぇ。ついカッとしちゃって。ぼくが悪かったよ。手紙はしっかり読んで、小竹さんにはちゃんと返事をしたよ。ふふん、これでいいかな? ぼくを許してくれるかい?」
「・・・・・・」
ああ、なんていうことだ。

「ふふん、きみになぐられて、わかったんだよ。・・・その、えーと、小竹さんがどんなに真剣に、ぼくに好意を寄せてくれているっていうことが。ふんふん・・・、それときみの気持ちも。だからちゃんとしなくちゃいけないと思ったんだ」

まったく、なんてことだろう。
ぼくはぼくの過ちがはっきりとわかった。
カミナリにでも打たれたように、ネクタイの一語一句がぼくの全身をつらぬいた。

・・・ウォー、タ・・・。
遠くで何かきこえた気がした。きこえるかきこえないかの、すれすれでそれは耳に入る。
本当にかすかに。空耳だろうか?
しばらくするとまたきこえる。

・・・おおー、・・・い・・・お。
少しずつ大きくなっていて、ぼくは耳をかたむける。
なぜだかその音は、とてもなつかしい感じがする。忘れてはいけなかったもののように思う。

それが、人の声らしいとわかった瞬間、はっきりとこんな声がきこえた。
「おーい、たけちゃん! やっぱりここだと思ったわ!」
視線を動かすと、黒いスニーカーが見えた。
見上げると、目の前にべにちゃんが立っている。

とてもびっくりした。すごく驚いた。
ぼくは思わず、ピョコンとバッタが飛び跳ねるように立ち上がっていた。
「ど、どうしたの、べにちゃん!」
「どうしたじゃない! それはこっちのセリフよ! みんな大騒ぎしているわよ、いったい今までなにをしていたの!?」
「今まで・・・、あ、あれ、もう夜なの?なんで、、」

翌朝ぼくは、べにちゃんが迎えに来る前に、家を出ていった。
こんなこと、ぼくとべにちゃんとの通園・通学人生、始まって以来のことである。
学校へはいかなかった。
学校へいけば、べにちゃんと会わなければならない。

ぼくは、ぼんやりしてあてなく朝の町中をうろうろとさまよった。
誰も通らないような横っちょに入り、取り壊しが終わって誰もいないビルディングの敷地を横断し、誰も入らないしめった林を通り抜けた。終始うつむき、ただただ歩いた。
まるで夢遊病だ。

べにちゃんがいないところだったら、どこでもいい・・・、この世界にはべにちゃんがいる、だからぼくは、この世界の外にいくしかないのだ。
何も考えてなかったのに、気がつくとそこへたどりついていた。世界の外というわけではなかったが、ここは生きている者と亡くなった者との中間点といえる。

羽衣川のほとりにある、天が原セレモニー。
小竹おじさんが昇っていった、おだやかな地。
ここはとても落ち着く。
水田と畑、あしの大草原、羽衣川を見渡して、ぼくは草の上へ座り込んだ。

石が崩れる音がしたように思えた。
ぼくはうつぶせになっていて、ゆっくりと目を開けた。すると目の前に、確かに石がくずれている。
もう少し顔を起こして見ると、そこには子どもたちと鬼がいた。

川辺である。
子ども達は川から石を持ってきてつみ上げる。そして子どもが、これでできたという顔をすると、鬼がやってきて、せっかくつんだ石ころをけとばしてしまう。
そのたび子どもは泣いたが、やがて泣き止むと、また川にいき、石ころを探しにゆく。

どうやらはここは、賽の河原(さいのかわら)であるようだ。だとすれば川は、三途(さんず)の川ということになる。
立ち上がってまわりを見ると、ぼくはギョッとせずにはいられなかった。

あのあとは先生に、家に帰ってからはお父さんとお母さんに、こっぴどく叱られた。学校から家に連絡があったらしい。
でも、そんなのなんでもなかった。

先生にもお父さんにもお母さんにも、
「ごめんなさい、ぼくが悪い。もう二度としません」
これだけをくり返しいい、あとは黙っていた。

ぼくがもっとも気にしているのは、べにちゃんだ。
べにちゃんになんて話そう。べにちゃんは、ぼくのことひどく怒ると思う。・・・それだけならまだいい、このことを知ったら、べにちゃんは、ぼくのことを嫌いになるかもしれない。
そう思うと、とたんに顔が真っ青になる。

手紙を渡してくれと頼まれたのに、取っ組み合いをしてきてしまったのだ。
そしてべにちゃんはふられてしまった・・・。ネクタイははっきりと、べにちゃんには興味がないといったのだから。
いろいろ考えて、考えれば考えるほど、ぼくはべにちゃんに嫌われるに違いないと思った。
夜、ぼくはまくらに顔をうずめて、えんえん泣いた。

学校。いつもより15分前にぼくは教室につく。べにちゃんとはクラスが違うので、ぼくは朝から、大いに悩むことができた。
授業なんてそっちのけ、給食に出た大好きなミートボールも残し、みんなから「調子が悪いの?」「早退する?」という言葉に、「ううん」とか「大丈夫だから」としかいえなかった。

ぼくはずっと頭をかかえて、うつむいていた。顔面蒼白(がんめんそうはく)とは今のぼくの表情のことをいうのだろう。
べにちゃんから渡されたうす桃色の手紙。これをネクタイに渡したら、ぼくとべにちゃんは、どうなってしまうのだろう。
どうしたって、よくなるということはないと思った。

――放課後。
とにかくぼくは、ネクタイを屋上へ呼び出した。
空には重たそうな雲でいっぱいだった。

「ふふん、なんだい? 竹春がぼくに用だなんて、なにごとだろうね?」
「・・・・・・」
「うん? なんなんだい竹春、変な顔して? ぼくはキミらと違っていそがしーんだから、早くしてくれないかなぁ、ふふん」
ぼくはべにちゃんのうす桃色の手紙を持った右手を、ゆっくり持ち上げる。

うす桃色の手紙は、やはりブラックホールのように重たくて、ぼくは本当に一生懸命持ち上げた。
「なんだい、これ? くれるのかい?」
ぼくは黙って顔を上げる。

春はときおり、日中にしか顔を見せないことがある。
朝晩はまだ寒い日があり、暖房が必要なときもあった。
今朝がそれで部屋の中でも、息がほぅっと白くはき出されて、空中で消えてゆく。
ぼくは学校にいく準備を始めていた。
準備を始めるとすぐにべにちゃんが、むかえにきた。いつもより15分も早い。

「たけちゃん!むかえにきたよー!」
ぼくらは幼稚園の頃から、毎日一緒に通園・通学している。
べにちゃんの声は、いつもより大きくはずんでいる。上機嫌のときの声だ。
「はーい! 今行くねー!」

窓から顔を出してべにちゃんにいう。
急いで教科書やふで箱をかばんに入れ、階段を下りる。
「今日は早いんだねー。」
玄関で靴をはきながらいいドアを開けると、べにちゃんが、いつも通りに笑って立っているはずだった。

ある春の日のことだ。
ぼくは、しくしく泣きながら目覚めた。
夜中だった。
おだやかな夜だ。とても静かで、どこかさみしい。
春がそこかしこにいるのが感じてとれた。ちょっと冷んやりする、ちょうどいい温度。春の始めの、夜の温度だ。

部屋の窓は真夜中の群青色(ぐんじょういろ)に染まっている。外の木立がゆれているので、群青色はうすくなったりこくなったりをくり返していた。カーテンは両端に結われている。
あれ? ぼく、泣いているの?

はじめはそう思ったのだ。そしてその理由がわかったとき、ぼくは唇をすぼめ眉を寄せ、もう一度小さく、えーんと泣いた。
べにちゃんの夢を見た。
べにちゃんが悲しみのどん底から、立ち直ったときのこと。
ぼくがべにちゃんを、いとおしくて、守ってあげたくて、特別な存在になったときのこと。べにちゃんがネクタイのことを嬉しそうに話す日には、必ず決まってこの夢を見るのだ。

――ああ、でも、本当におかしな話しなのだ。
おかしなことの上に、またおかしなことがあるのだ。

ほくの大好きなべにちゃんは、こんなネクタイのことが好きなのだ・・・。
「伊集院くんてすてきよね。・・・なんというか大人っぽくて落ち着いていて、貫禄(かんろく)があるわ。そうしたものってやっぱり家柄や育ちの良さが大切なのかも」
大人っぽくて落ち着いていて、貫禄がある? 違うよ、あれはふてぶてしいっていうんだよ!

なんだいべにちゃん、家柄や育ちの良さ? それならクリーニング店を開いている、お父さんとお母さんから産まれたぼくは、生まれながらにして、すてきにはなれないっていうの!?
ぼくんちに家柄なんて大そうなものはない。育ちも時折クリーニング店のカウンターに立つこと以外、普通の子と変わらないと思う。

べにちゃんは、いつもこんな風にぼくにネクタイのことを話す。あこがれと尊敬の話。
ぼくの耳は、1千万本の矢をぶつけられたようにイタい。そのたび、心の中でべにちゃん反発するのだ。