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マリーナ嬢とミレーナ嬢。
老姉妹は丘のふもとの大きな邸宅に 住んでいた。
車の運転と庭の手入れもかねるルチオとその奥さん、その他にシャム猫のリンリンがいた。
リンリンはサロンのたんすの上の 青い置物の横にぎょうぎよく座って、じっとボクを見ていた。
とても優雅で、さいしょ、陶器の置物と見間違えたほどだ。こんなに美しい猫には今までお目にかかったことがないと思った。

記憶をなくした3姉のマリーナさんはピアノを教え、妹のミレーナさんは油絵を描いている。
家の中はいつも明るくにぎやかだ。ピアノのレッスンや絵の授業を受けるため、子どもや若い人がたくさん訪れるからだ。子どもちたちはボクをとっても可愛がってくれた。
「可愛いわ! この猫ちゃん大好き!」
女の子たちが代わる代わるボクを抱きしめてくれた。
でもシャム猫のリンリンは、最初からむずかしいしいことばかりボクに言うのだった。
「マリーナとミレーナのひざの上にはぜったいあがらないことよ。あそこはあたしだけの場所」
とか「あのペルシャのじゅうたんはわたし専用なのだから、寝そべったりしないで」
とか、「子どもは煩わしいから引っかいてもいいのよ」などと言うのだ。

最初の頃はそれほどでもなかったけど、リンリンのしっとがはげしくなるので、老姉妹はこまり果ててしまった。
ボクを抱いてくれていた女の子のうでを引っかいたり、カッとなってあの高価な中国製の置き物をけとばしてをこっぱみじんにしたりするんだもの。
ボクが部屋に入って行くと、こわい顔でふり返り、そして気どったように歩き回るのだった。
リンリンはこの家の主人、リンリンは女王様なのだ。

そして・・・ついに起こるべきことが起こった。

ボクらが食べ終わった頃、別のエプロンの男がもっと大きな皿を持って出てきた。
「さあ、すっごいごちそうだぞ。チョウザメの白ワインむしだ。お前たちは今日はまったくついてるよ。わがままなお客さんが半分も残してくれたんだからな」
こはんに面しているテーブルはお客さんでいっぱいだ。
日がくれかかっていて、色とりどりの豆ランプでまるでお祭りのよう。
眠くなったボクは一番はしっこの、客が去っていったばかりのテーブルの椅子の上にうずくまると、そのまま寝てしまったのだった。

・・・誰かがボクを呼んでいる。
子どもが笑っている。この子、誰だっけ。
ボクをやさしく抱いてくれるこの子どもはアンジェロ(天使)かな?
白い羽はつけていないけど、清らかでとっても可愛いんだ。
子どもがボクに ささやいている。
ボクと君は友だちだよ、これからもずーっとずーっとね、いつもいっしょなんだよ・・・・

「おい、ミーチョ(子ネコ)、ここはお客さんの席だよ。さっさと椅子からおりてくんな」
給仕の男がボクをおいはらおうとしていた。
「ねかせておきなさいな。椅子は四つ。お客は私と妹と二人っきりなのよ」
きかざった2人の老女は笑いながら席についた。それからテーブルクロースをそっとたくし上げて、のぞきこむようにボクを見た。
「丸いオレンジ色の目がすてきね。ちっとも人間をこわがらない猫なんてすばらしいわ」
「どれどれ、私も見たいわ。ほんとね。とっても人なつっこい感じだわ。あんたが欲しがっていたタイプね、きっと」
「リンリンがいなければこの猫ちゃんつれて帰りたいところよ」
「2ひきいたっていいじゃあないの。いいお友だちになれるかもしれないわ」

記憶をなくしたボビー2給仕が料理をはこんで来たとき、老婦人は言った。
「小さなお皿を1枚持って来てくれないかしら。あたしたちのお客さまのためにね」

目が覚めたらボクは、かごの中に寝ていた。
みどりに囲まれた庭の中で、とってもすてきなところだ。ちょろちょろと水の音がきこえてくるので見回してみたら、大理石の魚の口から吹き出している泉があった。

記憶をなくしたボビー1ここはどこだろう。どうしてこんなところに寝ているんだろう。
ボクはどこでなにをしていたのだろう。どうしても思い出せないんだ。
あ、そうだ、とつぜん、爆音みたいのがきこえてきて真っ暗なやみの中に落ちていった気がする・・・そしてそのまま。

泉の水にちょっと前足をかけてみた。
とっても気持ちがいい。軽い頭痛がして、のどがかわいていたから少し水を飲んで、それから、鉄の格子戸の門をすりぬけて、あてもなく歩きだしたのだった。
さてどこへいこうかとぼんやり考えながら・・・。

何時間も歩いて、夕方小さな湖のある町にたどりついた。
オレンジ色にそまった湖で こどもたちが泳いだりボートをこいだりして楽しそうだ。おとなたちはベンチや教会の階段にこしを下ろして笑ったり、むちゅうに話をしたりしている。
レストランがあって、おおぜいのお客さんが食事をしている。
おいしそうなにおいで目がまわりそう。今日はなにも食べていないんだもの。
うろうろしていると、ボクよりもずっと体の大きいクロネコが話しかけてきた。
「はらがへってるんだろ? だったらオレについてこいよ。ごちそうにありつけるところにつれて行ってやるからさ」
ボクとクロネコくんはレストランの裏にまわって、台所の入り口のところに行った。
ドアが開いているので、中に入ろうとしたらクロネコくんに叱られた。
「おい! 入っちゃあダメだよ。ぶっとばされるぞ。ここで待っていればオレたちに気がつくんだからさ」

やがて白いエプロンの男が皿を持って出口のところまで来ると、
「このごろの客はまったくぜいたくだよ。こんなうまいものをほんのちょっと口にして、それでおしまいだ。ほら、これを食べな。けんかしないで仲良く食べるんだぞ」
そう言って表に出してあったアルミの器に料理をうつすと中へ入って行ってしまった。
おなかがすいていたので、とってもおいしかった。

ステファノがローマへ帰る日になった。
チェーザレ氏がおみやげをいっぱい買ってあげたので、来たときよりも3倍くらい荷物がふくれ上がってしまった。
チェーザレ氏のステファノのかわいがりようにはおどろいてしまう。たった1週間のたいざいだったけど、ルナ・パークやこのまちでいちばんおいしいピッツェリアにつれて行ったり、あれやこれやのもてなしなのだ。
でもステファノは、それほどうれしかったのかなあと、ボクは思ってしまう。
「ひろばでこどもたちがサッカーしてるわよ。ステファノもやってきたら?」
「ううん、ボク、ローマにかえるまでに、としょかんでかりているこの『ベートーヴェンのしょうがい』読みおわってしまいたいの」って調子なんだもの。
写本 -beethoven 2-1
「おっとは今、ステファノを飛行場まで送っていったの。なにしろおいへの愛情はすっごいのよ。チェーザレは小さいときに両親をなくして、お兄さんに自転車で毎日小学校の送り迎えしてもらってたのがわすれられないんですって。イタリア人の肉親へのきずなの強さといったら、あたしたちには信じられないくらいよ」
りつ子さんは電話でそんなことを話している。
ボクはといえば、ステファノがいなくなったら、またドロがやってくるだろうな、などとこわごわ考えてしまうのだ。
ステファノがローマに帰ってしまっから、10日くらいたった。幸いにドロはやってこない。ヴァイオリンにこりたのだな。きっと。
夕ぐれも間近だった。
ボクがさんぽの帰りみち、れんがづくりのへいの上をあるいていたときだ。
道の反対側の植え込みから、いきなり黒いかげがとび出してきて、へいの上にとび上がったのだった。なんとそれは忘れもしないドロだった。
ドロのかおつきが変わった。両目が、みどりのほのおのようにもえ上がった。
ドロ、おねがいだからそんなこわい顔でボクを見ないでくれよね。
おねがいだから・・・ドロの毛はハリネズミのようにふくれ上がった。そしてキバをむきだしてハーッと・・・ボクはあとずさりした。きっところされるだろうと思った。
でもあとずさりしたのはボクだけではなかった。ドロはいきなりきびすをかえすとへいをとびおり、矢のようににげて行ってしまったのだ。
赤い夕日の中にきえてしまったドロ・・・ボク、どうしても信じられないよ。(おわり)

でも・・・3日後にまた、ドロがやってきたのだ。夜の1時もとっくにすぎたころに。
ボクは、サロンのソファーの上でねむっていた。気配を感じて目をあけると、ろうかにともされた小さなでんとうの下を黒いかげがとおりすぎた。やがてボクの食べのこしをガツガツと食べている音がかすかにきこえてきたのだ。
そのとき・・・おや?
あのきらきら星のヴァイオリンが、しずまりかえった深夜にひびいてきたのだ。
ガツガツはぴたりととまった。ドロのうなり声をきいたような気がした。そして、ゲーゲーはきちらす音までが。
やれやれ、また、りつ子さんにしかられるのはボクなんだ。そして「ジロをじゅういさんに一度みせたほうがいかしら」って思うかもしれない。
ヴァイオリンはまだなっている。夫婦のしんしつは2かいにある。ステファノがねている小さな部屋のとなりなのにきこえないのかな。
ジロとドロ6なんと、おとなりのおじいちゃんの方が先に目をさましてしまったのだ。
「うるさい! こぞう、ポリスを呼ぶぞ!」
おじいちゃんがどなっている。やっとりつ子さんが目をさましたようだ。けたたましい足音。
「ステファノ、どうしたのよっ!  真夜中の2時っていうのに!」
「ごめんね、りつ子おばちゃん。自分でもさっぱりわからないの」
「アーティストには時間の観念がないのだ。ステファノは世界的なヴァイオリニストになるぞ!」
チェーザレ氏が大あくびをしながらさけんでいる。

つぎの日の午後、ボクはサロンのじゅうたんにうずくまっておひるねをしていた。りつ子さんはソファーに横になって本をひろげたままねむっている。
ボクは目をあけた。
あ、また来た。ドロはしなやかに、窓からりつ子さんの頭の上をとびこえてボクのお茶わんのあるところへ直行し、いつものようにガツガツと食べはじめたのだ。
とつぜん・・・あれ? ふしぎ! また、あのキィ、キィ、キィーのヴァイオリンがきこえてきたのだった。
きらきら光る、お空の星よ・・・
りつ子さんがヴァイオリンにあわせて口ずさんでいたっけ。とってもそぼくで、かいかつなメロディー、モーツアルトのかわいいれんしゅうきょく。小学校の音楽の時間を思い出すわねぇ、なんてつぶやいてたけど。
なのにドロったら、悪魔の啓示(けいじ)にでもかかったように、食べるのをやめて、苦しそうにあえぐぐように首を動かすのだ。
ヴァイオリンの音にとびおきたりつ子さんは、こんがらがった頭で、天井を見上げている。りつ子さんはソファーからとびおりると、かいだんをとぶように上っていった。
「ステファノ! 言ったでしょう」
りつ子さんのちょっときびしい声がきこえてくる。
「おとなりのおじいちゃんがおひるねするから、午後はぜったい、ヴァイオリンをひかないでって」
「ごめんなさい、りつ子おばちゃん。ボク、そんなつもりではまったくなかったの。ボクもおひるねしてたんだけど、ぱっと目がさめてね、しょうどうてきにひきたくなったの。自分でも分からないの。どうしてそんな気持ちになったのか」

翌日は一日中ドロは来なかった。
ボクはすっかり安心してしまった。もうドロは来ないのだ。ドロはステファノのヴァイオリンの音がきらいなのだ。
ステファノがかなでるヴァイオリンは、ドロにとって、のろいの音なのだ、きっと。
ステファノがローマに帰らずに、もっとここにいてくれたらいいのになあと思う。
「ジロはこのごろ、ぱっぱっと食べてしまうのでたすかるけど、ときどきはいてしまうみたいね。あわてないで食べるのよ。胃がふつうよりもちょっと上のほうについているんだから注意しないと。ところで、ドロをみないわねぇ」

朝のさんぽからもどってくると、ちょうどボクの食事のじゅんびができたばかりだった。
「ドロがこないうちにはやく食べてしまうのよ。ジロ、わかった?」
りつ子さんは言い、出かけてしまった。
ボクが食べようとしたときだ。・・・ふとふりかえってみると、ああ、やっぱり。ドロが怖い顔をしてボクの鼻すれすれに顔を近づけていたので、震え上がってしまった。
「ほらね、君のために手をつけないでとっておいたんだよ。どうぞ」
ボクが身をひく前に、ドロはもうガツガツと食べはじめた。
ガツガツ、ガツガツ、すさまじい。かいぶつのようだ。
ボクは柱のかげから、息をひそめてながめているだけだった。
そして、半分くらい食べてしまったころ・・・・。
ジロとドロ4キィ、キィ、キィーと、ステファノのヴァイオリンがサロンからきこえてきたのだ。あのモーツアルトのれんしゅう曲が。
おやっ? ドロのガツガツがぴたりと止まった。酔ったように、頭を上げてきき耳をたてているようだった。
ドドソソララソー、ファファミミレレー・・・
ドロはいきなりドアの方に向かってとっしんした。そして、食べたものをゲーゲーはきちらしたのだった。
ヴァイオリンの音色がキィ、キィ、キィーと、まだきこえてくる。
ドロはくるったように体をよじって、走り去っていったのだった。

お昼ごはんがおわって、みんなはサロンにうつった。
小さなステファノはヴァイオリンをとりあげて、くそまじめな顔になり、ふめんを見ながら重々しくひき出したのだけど・・・キィーッとなりだしたとき、チェーザレ氏とりつ子さんは思わず顔を見あわせた。
それからキィ、キィ、キィーとはじまるヴァイオリンの音に、二人は耳をふさぎたい気持ちになっているのがわかった。
でもがまんしているんだ。本人は一生けんめいだからきいてあげないとね。

音楽がちょっと中断したとき、すかさずチェーザレ氏が言った。
「すごいなあ、ステファノは。しょうらいは大ヴァイオリニストだな。アルビノーニの『アダージョ』って、とってもいい曲だね」
「これは、『アダージョ』ではないの。先生が、まだぼくには早いっていうから。これはね、モーツアルトの初歩のためのれんしゅう曲なの」
りつ子さんが吹き出したいのをかみころすのに苦労している。
「この人ったら、イタリア人なのに、アルビノーニのアダージョも知らないんだから」

ステファノは、われを忘れたようにひきつづけるのだ。まわりのことなんかなんにも頭にないってかんじ。りつ子さんも、「この子、えらいわねえ、根性があるわ」と感心してながめている。

ジロとドロ3玄関のベルがなった。
りつ子さんが出てみると,おとなりのリーザおばあちゃんがほほえんで立っていた。
両手に大きなチョコレートケーキをもって。
「おいごさんがローマからいらしたのね。いいわねえ、にぎやかになって。はい、これをみなさんでめしあがって。けさ、娘がきて作ってくれたのよ」
「まあ、すてき。主人もわたしも大好物なのよ。さあ、リーザさん、入ってくださいな。コーヒーでもいかが?」
「いいえ、これで失礼するわ。・・・バイオリンをひいているのはおいごさんなのね? 今まではきかなかったもの」
「そう、意外と真剣にやっているみたい。ローマではちゃんと先生についているんですって」
「えらいわねえ・・・ところでおねがいがあるのよ。気にしないできいてちょうだい。おいごさんのヴァイオリンのことだけど、しばらくたいざいされるんだったら、ひくのは朝と夕方にしていただけないから。午後からは、ほら、おじいちゃんがおひるねをするでしょ。だから・・・」
「わかったわ。ご心配なく。すぐにやめさせますわ」
おばあちゃんは、ほっとしたように帰っていった。

リーザおばあちゃんはとっても柔和で感じがいいけれど、おじいちゃんのほうは、りつ子さんもちょっと敬遠ぎみなのだ。あいさつをしても返事がかえってこないこともある。おじいちゃんはきょくどの神経質らしいのだ。2軒はあまりはなれていないので、りつ子さんはまどをあけているときは、テレビのボリュームなども、いくらかは気にしているくらいなのだ。

「『お宅のネコらしいドロ・・・いえ、なまえは知らないけれど、わがやのえさを食べちゃうんで、困っているの。お宅ではじゅうぶんにえさを与えていないのですか?』って言ったら、『ああ、ピットのことね.わが家にもいたことがあるけど』なんて、人ごとみたいに言うの。
『ピットはもう、うちのネコではないんですよ。お行儀が悪いし、せいかくもよくないから、おい出してしまったんですよ』なんて、放蕩(ほうとう)むすこでもおいだしたような言いかたをするの。籍(せき)ははずしてしまったんだから、もう関係ないって感じでね。
『でも、おなかがすいたらもどって来るのではないのかしら?』
『どんなにほしがってもぜったいにあたえないのよ。家では台所いがいは食べ物を置かないことにしています。それにいつもドアをしめていますからね。そのうちネコのほうがあきらめてよりつかなくなったの。お宅もそうなすったら?』なんて、しゃーしゃーして言うのよ。
『わが家ではドロってよんでいますの。どろぼうのドロのことよ』って言ってやったけど、話していてしまいにはバカバカしくなったわ」
きいているチェーザレ氏がゲラゲラ笑うもんだから、りつ子さんもふき出してしまって話にならないのだ。

ローマにすんでいるチェーザレ氏のお兄さんの息子がミラノにやって来た。
まだ小学校の2年生。日曜日の朝、チェーザレ氏が飛行場にむかえに行って、つれてかえって来たけど、「ステファノ、つかれたかい?」、「ステファノ、なにが食べたい?」、「パパとマンマとわかれててさびしいだろう?」などと、ものすごいかわいがりようなんだ。
おかあさんがおばあさんのかんびょうに行ってるし、お父さんは仕事で夜がおそいので、ここ1週間ばかりあずけられることになったのだ。
ステファノは長いまつげのとっても大きな目をして、そのうえ度のつよいメガネをかけているので、顔じゅう、目がいっぱいという感じだ。ジロとドロ2かれはたいせつそうに、小さなヴァイオリンをかかえていた。
「ローマの音楽院で、アルビノーニの『アダージョ』をきいて、バイオリン二ストになることに決めたの」と幼い少年が、ちょっとませた口調で言う。
「ほう、すごいなあ、あにきからそんなこときいてはいたけど。れんしゅうを始めて、もうどのくらいになるんだい?」
「3週間とちょっとくらいかな」
「ふーん。じゃあ、昼ごはんを食べたあときかせてもらえるかい?」
「もちろん、人にきいてもらうのはとってもいいことだと、先生も言ってたから。みんなの感想もききたいし」
と、また、ませた感じでこたえる。

あれっ、また食べられちゃったよ。
ドロのやつ、よっぽどおなかをすかせてたんだな。でもあつかましいよ。よその家にずかずか入ってきてさ、ボクのごはんをぺろったいらげて、ぎょろっとボクをにらんで出ていってしまうんだもの。
ジロドロ1バスルームのドアの下にボクのお茶わんがあるんだけど、りつ子さんが足もと見てギョッとしたのもとうぜんだよね。はしらのかげでボクがぼけっと見てるので、りつ子さんはそれにもはらをたてるんだ。
「ジロったら、なんてなさけない子なの!『これはボクのごはんだよ』って、どうして立ちむかって行かないの? あんたのママって、とってもきしょうがはげしかったときいているけどね」

ご主人のチェーザレ氏がしゅっちょうからもどって来た。
大きなスーツケースをどんと玄関におくと、ボクをだきあげてくれる。そしてタワシみたいなほおを、ボクのかおにすりよせていった。
「ジロ、ぼくのるすのあいだもいい子だったかい?」
りつ子さんは、まってましたとばかりまくしたてる。
「あなた、あのドロボウネコのことおぼえてる? ほら、ここまでずかずか入ってくるのよ。しんじられる? きれいに食べてしまって、『もう、くうものはないのかよ』と言わんばかりにあたしを見あげるの。スリッパをふり上げたら、すごいかおでハーッとやったので、ぞっとしたわ。それからわがものがおでゆっくりと出ていくの。かんぜんになめちゃっているのよ」
だれだってドロを見たら怖くなってしまうよね。 かおはんぶん黒であとのはんぶんが白で、はなのところがぐちゃぐちゃっとして、うすきみわるいみどり色の目でにらまれたら、ふるえあがってしまう。
チェーザレ氏はびっくりしたような、おもしろがっているみたいにきいていたけど、
「入ってこれないようにドアをしめてしまえば、かんたんじゃあないのかい?」
「いつもってわけにはいかないわ。ジロは外に出たり入ったりするのがだいすきなの。お庭であそんでいると、お友だちもくるようだけど、ドロがやってくると、みんなどっかへ行ってしまうみたい」
「入り口にレモンの皮を山盛り置いておいたらいいだろ」
「普通のネコならレモンの皮はいやがるけど、ドロには通用しないわ。逆にジロがは入れなくなっちゃうわ」
「そうだな、それは困るな。しかし、そのドロってやつは、のらねこなのかい?」
「そうじゃないのよ。れっきとしたかいぬしがいるの。いたっていうべきなのかしら。ワイン店のよこを入ってつきあたったところのアパートにすんでいるガティーニっていう家のネコなの。ワイン店の主人がそんな話をしてくれていたとき、ぐうぜん、当のガティー二の奥さんがお店に入ってきたの。そこで、あたし勇気をだして言ってやったのよ。