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1 旅のはじまり

「相棒、今年も、よろしくな!」
ペダルに乗せた左足に、力を入れる。
早朝の涼しい空気が、まわりで一気に風になる。
さあ。
いよいよ。
ぼくの年中行事、夏の旅のはじまりだ。
相棒は、3代目のマウンテンバイク。色は、初代からずっと同じの、コバルトブルーだ。
そして旅は、あの夏から数えて、8回目。

そう、あの夏。
「幸太、おまえも、もう4年生だ。今年からはひとりで修行の旅にでるのだ。そして、年の数だけ、ひとさまのお役にたつまでは帰ってきてはいかん」
とうちゃんが言ったんだ。
「しゅ、しゅしゅ」
「修行だ!」
「修行・・・」
修行の旅なんて言葉を、突然、耳にねじ入れられて、驚いた。驚きすぎて、ぶっ飛んだ。
怖くて、嫌で、泣きそうだった。いや泣いた。

8 風船

ミエンダー氏は世界平和会議での講演を、無事、終えた後も、しばらくは、五所河原家にいて、新聞、テレビなどのインタビューに忙しい日を送っていました。
ある日、とうとう、
「では、ハツさん、コスモ博士、さようなら。ありがとう」
と、メンテナンスのすんだワープドアから、キエール星に帰って行きました。

それは、本当に、プクンと、水面にしずむような、ふしぎな光景でした。
ミエンダー氏が消えた後のリビングの空気は、少し、さざ波立って、あとは、何事もなかったように、静かになりました。
「じゃあ、ハツさんは、また、元気に、パトロールの日々にもどったんすね?」
ミエンダー氏をめぐるおどろきと興奮の日々が過ぎて、研究所で元通りの毎日に、ちょっと退くつしていた多田君が聞きました。

コスモ博士は、実験の手を止めて、首をふりました。
「それが、そうじゃないんだよ。母さん、すっかり、落ち込んでしまって、パトロールにも行かずに、リビングに、ボーっと、座っているだけなんだ」
「ああ、分かるなあ、ハツさんの気持ち。でも、すぐに、元のやんちゃなハツさんにもどりますよ」
二人がそんなことを話してから、半月ほどたっても、ハツさんは、まだ、ボーっとしたままです。

「このごろは、また、明かりセンサーの前で、立ちんぼしているし、今朝なんか、私を父親とかんちがいして、『いってらっしゃい、ナユタさん』って言ったんだよ」
多田君も心配になって来ました。

「そりゃ、考えものすね」
「日ごとに物忘れはひどくなるし、ごはんも食べずに、チューインガムばかり、かんでいるんだ。心配だから、スタングラをかくしてしまったよ。今、消えられたら、探しようがないからねえ」
「よくないなあ。すぐにでも病院でみてもらわないと。仕事している場合じゃないっすよ、先生」
「そう思うかね」
コスモ博士は、そわそわと、立ち上がりました。
「じゃ、さっそく、母さんを病院に連れて行こう」
「おれ、車、回しますよ」

7 3Dホログラムの旅

「行ってみましょう、その公園へ」
ミエンダー氏が、さらりと、言いました。
「え?」
「本当につまらない所かどうか、確かめに行くんですよ。さあ、私を、スタングラで、そこまで、運んでください」

二人が川辺の林に行ってみると、そこは、ずっと前に、公園のさくが取り払われ、ジャリや、鉄骨などの、資材置き場になっていました。
大きくなり過ぎた木は、切りたおされて、切り株だけになっているものもあります。
雑草の中に、ボロボロのパンダの頭を見つけた時、ハツさんはため息をつきました。

「昔の方が、まだ、ましだったわ」
「じゃあ、ハツさんの知っている昔の様子を見てみましょう」
「え?」
ミエンダー氏はうでのデバイスのねじを、くるくる、回しました。すると、周りが、ビデオのように、巻きもどり、ハツさんの子供のころの公園になったではありませんか!

「言い忘れましたが、私は時間旅行もできるんです」
林はすずやかになり、パンダの人形のそばに、ウサギや、ゾウも、ニョキニョキ、現れました。ブランコや、鉄ぼうもあります。
確かに、みな、しょぼくれてはいます。でも、
「ああ、なんてなつかしいの!」
と、ハツさんは、目を細めました。そして、手をのばして、それらにさわろうとしましたが、その手は、するっと、通りぬけてしまいました。

「実物ではないんですよ」
と、ミエンダー氏。
「あなたをじっさいの時間旅行にお連れすることはできないので、私が旅した時の記録を、3Dホログラムでお見せしているんです」
「3Dホログラム? 立体映像ってことね。ありがとう。私、ここにもどって来られて、うれしいわ」
「そうですか。気に入ってくださったのなら、ついでに、もう少し、お見せしましょうかね」
クルクル、クルクルクル・・・。

6 さらわれたミエンダー氏

朝も6時。そんな早くから、多田君がたずねてくるなんて、めずらしいことでした。
「おはようっす、ハツさん! このごろ、パトロール、してないそうすね。町は、大変なことになってますよ。『正義のステルスおばあちゃん』が現れないのをいいことに、カラスはベランダや庭をあらし放題! 公園でも、ヘビが来るんで、親鳥たちは気が気じゃない。ヒナたちも、こわがって、巣の中で、ピイピイ、ふるえているすよ!」
「何ですって!?」
ハツさんはあわてました。

「ミエンダーさん、ごめんなさい! きょうの映画鑑賞は、夕方まで、延期にしてくださいね。私、町を、一回りしてきますから! コスモさん、ミエンダーさんをよろしくね!」
「いいですとも、母さん!安心して、町の平和のために、出かけてください。あとは、私と多田君に任せて」

ハツさんは、久しぶりに、クローゼットから白鳥のつばさを引っ張り出し、スタングラをうでにはめて、「シュワッチ!」と、出て行きました。
その時、何だか、コスモ博士と多田君が、目配せしたような気もしましたが・・・。

5 ミエンダー氏、映画を見る

「ほほう、すると、あなたは、遠いキエール星から、はるばる、地球を観察しに、やって来たってわけですな」
コスモ博士はミエンダー氏の話に大興奮!
「これはすぐにでも世界中の科学者に知らせなくちゃ!」
「だめですよ!」
ハツさんがさけびました。

「どうしてですか、お母さん?」
「どうしてもです。ミエンダーさんは、私のお友だちなんだから。勝手に、世界中に知らせるなんて、許しませんよ。第一、そんなことをしたら、ミエンダーさんが、マシュマロどろぼうで、警察につかまってしまうじゃない!」
「気になっていたんですが、どろぼうって、なんですか? ハツさんが、たびたび、ぼくを、そう呼ぶんですが・・・」
ミエンダー氏が口をはさみました。

「おお、それです」
コスモ博士は、これ幸いと、話題を変えました。
「あなたは、どうして、マシュマロばかり、ねらったんですか? 地球には、ほかに、もっと価値のあるものが、いっぱい、あるでしょうに」
「もっと価値のあるもの?」
「ええ。水とか、金とか、レアメタルとか・・・」
「私たち、キエール人は、何でも、自分たちで、作り出すことができるので、地球にあるもので、私たちが必要なものは、何もないんです。ただ、マシュマロだけは、こんなうまいもの、食べたことがない! まったく、すばらしいおいしさです!」

4 宇宙人ミエンダー、現る

早起きのハツさん。朝の6時には、もう家を出ています。
町を一通り、パトロールしてから、公園に行ってみると、ピピピッと、さわがしい小鳥たちの声。
「きっと、また、あのヘビだわ!」
思った通り、ヘビが、この間とは別の巣をねらって、しねしねと、木を登っているところでした。
「許すものですか!」

カチャッ! バキューン! キィィー!!

するどいタカの声に、ヘビは首をちぢめて、シュルシュルと、逃げて行きました。
「ああ、いい気持ち! リベンジ、成功!」

無敵のステルスおばあちゃん! おかげで、町は、ずいぶん、住みやすくなりました。
目に見えない正義のヒーローを警戒して、ベランダで、ハンガーや干し魚をねらう、いたずらカラスは、めっきり、少なくなったし、町角のダンボールで、ニィニィ、泣いている子ネコも、知らぬ間に、ネコ好きのおまわりさんに届けられました。
ひっくり返って、起きられなくなっているコガネムシには、木の葉が、そっと、さしのべられ、通せんぼしているいじめっ子には、
「こらあ! 何年何組だー!」
と、学校いち、こわい先生の声が。

3 正義のステルスおばあちゃん

空の散歩はいい気持ち。
「もう、えんりょはいらないわ。私のすがたは、だれにも見えないんだもの」
見慣れた町も、上空からだと、まるでちがって見えます。

「あっちの屋根は古風な三州がわら。さすがに品があるわね。こっちは太陽光パネル。エコを考えているのね。感心だわ。それに比べると、コンクリートは味気ないわねえ。あら、でも、屋上ガーデンがある! ちょっと、下りてみようかしら」
だめだめ、勝手におりちゃ!
ふと、ハツさんは、一けんの家のベランダに、カラスがとまり、しきりに、おじぎをしているのを見ました。

「ああやって、カラスがおじぎをしている時は、きっと、何かをねらっているんですよ」
ハツさんは、そっと、観察します。すると、案の定、カラスは、何かを取って、さっと、まい上がりました。
「あ、あれは、針金のハンガー! 巣づくりの材料にするつもりね! そうはいくものですか!」

ハツさんは、空中でカラスを待ちぶせて、ハンガーを、ガッチリ、つかみました。
カラスはびっくり! 何もない所で、くわえていたハンガーが、バキッと、固まってしまったのですから。
「ガワッ!?」
いきおいあまったカラスは、口ばしの先で、ハンガーの周りを半回転し、それから、バサッと、空中に投げ出されて、「カカカ、カア!」っと、にげて行きます。

「正義のステルスおばあちゃんにかなうと思う!?」
ハツさんは、くすくす、笑って、ハンガーを、ベランダに返しましたが、その後も、しきりに、くすくすしています。何か、いいことを思いつたのです。

2 スタングラ誕生!

ところが、ハツさんは、まもなく、それでは物足りなくなりました。
「コスモさん、せっかく、天狗(てんぐ)のかくれみのを作ってくれたんだから、ついでに、天狗のつばさも作ってくれたらどう?」
「飛ぶなんてむりですよ、母さん。つばさを作ったって、人間には、それを動かすだけのうでの力がないんです。飛びたいなら、飛行機にでも乗らなくちゃ」
「いやですよ、あんな物! 羽もないのに、でっかい金属のかたまりが空に浮くなんて、何か、まちがっていますよ。私はエレガントな鳥のつばさがほしいんです。すぐに作ってちょうだい」

お母さんには、めっぽう、弱いコスモ博士。考えた末に、軽くてじょうぶなプラスチックで、つばさを作ってあげました。白鳥のように、白い、美しいつばさです。
「まあ、うれしい! おまえさんは、本当に、孝行息子ですね。で、どうやって使うの?」
「ええと、ここのかたひもに、こう、うでを通して・・・」
「リュックを背負うみたいに?」
「そうそう」
ハツさんが、言われた通り、内側のかたひもに両うでを通すと、つばさはハツさんの背中に、ひゅっと、すいつき、それから、かたから手先にかけて、ピタピタピタッと、くっついていきます。

「うはあ! 本物の羽がはえたみたい!」
さっそく、パタパタ、はばたいてみると、羽は、ハツさんの動きに合わせて、自由にしなります。でも、足の方は、地面から、1ミリも浮きません。
「ちっとも飛べないじゃないの!」
ハツさんは、ふくれっ面になりました。

1 コスモ博士、なやむ

五所河原 初(「ごしょがわら はつ」と読みます)さんは今年96歳。かくしゃくとして、とても元気です。
小がらだけど、もともと、とてもじょうぶで、しゅみも豊富。若い時には山登りが好きで、日本中、登っていない山はないくらいです。
みんなからは「ハツさん」と呼ばれています。

60歳を過ぎて始めた水泳は、シニアの部で、毎年、全国大会に出場し、80歳以上の部で、優勝したこともあります。
でも、さすがに、90歳を過ぎたくらいから、物忘れをするようになりました。

「あれはどこに置いたっけ?」
「あの人はどこのご近所さん?」
息子のコスモ氏が、このごろ、いちばん、困っていたのは、ハツさんが玄関の明かりセンサーのことを、すっぽり、忘れてしまうことでした。

ハツさんは、夜、玄関の明かりがひとりでにつく理由が、どうしても、納得できません。
「コスモや、玄関の明かりが消えませんよ」
それもそのはず、ハツさんが玄関に出て、明かりを見上げているものだから、センサーがハツさんがいることを感知して、ついたままなのです。
ずっとついたままなので、ハツさんは、ずっと、明かりを見上げています。だから、明かりは、ずっと、ついたまま。

「こしょうしたのね、きっと」
「ちがいますよ。センサーが母さんがいることを感知しているんですよ。母さんがそこをどけば、ひとりでに消えます。だから、つっ立っていないで、中に入ってくださいよ」
ハツさんが明かりセンサーのことで、ごちゃごちゃ、言い始めるたび、コスモ氏は、いっしょうけんめい、説明します。でも、ハツさんは、すぐに忘れてしまい、何度も、出たり、入ったりをくり返すのです。

アゴタ・クリストフ
悪童日記

あらすじ

戦災を逃れようと、大きな町から双子を連れた母親が、小さな町の実母を頼ってやって来る。“魔女”と恐れられる実母に双子を預けて、母親は去って行く。その日から、祖母と双子の暮らしが始まった。苦しい生活の中、祖母は双子に厳しく接し、労働を覚えさせ、困難な現実を凝視させるように仕向ける。

双子は悪環境に順応し、家に唯一、置いてあった聖書を教科書として、読み書きを学ぶ。二人は片時も離れることなく、協力し合って、心と身体を鍛錬していく。
外見は、皆に称賛される美少年に育った二人だが、生き抜くために、盗みもゆすりも、時には殺人さえも辞さない、恐るべき人格が築きあげられていく。